とうとうこの日がやって来た。あの薬を使って俺が女になる日。
俺はなんとなく、薬って言うくらいだから錠剤だとか液体状の飲み薬だとか
そんなものを想像していたのだけれど、ところがどっこいそうではないらしい。
なんと俺の苦手な注射器なのだ。しかも針が割と太い。
そんなことで憂鬱な気分になっているようじゃ先が思いやられるけれど、それでも多少は気分が沈んだって仕方が無い。
俺はこれも夢を叶えるためだって思いながらなんとか自分に気合を入れた。
「凛、腕だして。」
「うん。」
「はい、そしたら親指を中にして左手握って。」
「うん。」
「消毒するから少し冷たいかもしれないばぁ。」
「うん。」
「緊張しないで。あんまり力入れてると針が折れて痛い思いするばぁよ。」
「え…折れる?こんな太い針が折れるの?え?痛い?痛いよね、それ。え、怖い。」
「あー…わっさん、余計緊張させたかや。大丈夫さぁ、わんのこと考えてて。そうすればすぐ終わる。」
「ぷっ。うん、寛の事考える。」
「いくぞ。」
「…っ!」
いやらしい話俺は昨日の夜の寛の事を思い浮かべようとしていたのだけれど、
でもそれは、良い具合に力が抜けた腕に注射の針が侵入してきて、
急に感じた痛みで何処かへ吹っ飛んでしまった。
注射って案外想像しているよりも痛くないものだって思っていたけれど、
今回はそれが当て嵌らないタイプのものだったらしい。痛い。ものすごく。
「…。」
「んあぁっ…痛てぇーっ…。ねえ、まだぁ?まだ終わんないの、これ。」
「うん、あとちょっと。」
「ん〜っ…は〜や〜く〜っ。」
「…おし、終わり。良く頑張りました。」
「うん、頑張ったよ。これほんと。」
「はい、じゃあこれで腕押さえてて。」
「ん―…。」
なんだか今ので凄くぐったりしてしまって、俺はソファに勢いよく沈み込んだ。
ちなみに俺の身体にはまだ、これといった変化は起きていない。
寛曰く完全に身体が変化するのには丸一日程度かかるのだそうだ。
漫画や映画じゃないけれど、俺はいきなりポーンって女の人になれちゃうんだって思ってた。
でもこれはこれで徐々に身体が変化していく過程を見ることが出来て面白いかもしれない。
実際のところすでに胸のあたりがくすぐったい感じがして来ていたりして。
そう言えば、胸ってちゃんと大きくなるのかな。
なんか小さかったら小さかったでしょうがないけれど、
せっかく女になれたのにいつもと大して変わらなかったら空しくないか、正直。
…あ、ヤバい。なんか変なところがもぞもぞしてきた。
このくすぐったい感じ、慣れなそうにない。
やっぱり早く女に変化し終わって欲しいかも…なんて。
「凛、大丈夫か。」
「んー、なんかくすぐったい。」
「くすぐったい?」
「うん。胸とかがもぞもぞする。」
「…そうか、今日一日の辛抱だから。」
「うん。」
「何か飲むか?」
「ううん、要らない。」
「じゃあ何か食べ物買ってこようか?アイスとか。いちごかき氷買ってくるぞ。」
「いい。それよりここに居て。こっち来て、ここに座って。今日はずっと俺の傍にいてよ。」
「…うん、わかった。」
ぽんぽんとソファを叩いてここに座れと諭すと、寛はおとなしくそこに腰掛けた。
俺はその両腿に頭をおいて寝転がる。
ちっとも柔らかくないごつごつした膝枕だけど、寛が俺の髪を梳くその手の動きが心地よくて、
気が付いたらそのままそこで眠ってしまっていた。
・
・
・
「ただいまー。凛ちゃーん、どんな感じー?」
「ああ、おかえり、葵。」
「あれ、寝ちゃってる。」
「うん、なんか注射した後ぐったりしてたぞ。」
「あー、凛ちゃん注射大嫌いだもん。インフルエンザの予防接種とか、凄く嫌がるんだよ。」
「ははっ、たまに子供っぽいところがあるよな、凛は。」
「うん。娘の私が世話焼きたくなっちゃうくらい。」
「…ん…寛。」
「目、覚めたか?凛。」
「んー、…喉乾いた。」
「葵、ちょっと飲み物取ってきてくれんかや?」
「葵?…帰って来てるの?」
「うん。ただいま、凛ちゃん。」
「…おかえり。もうそんな時間?」
「んー、今2時ちょっとすぎ。」
「早かったね。」
「うん、ちょっと様子見に来ようと思って。はいこれ、お茶。」
「そっか。ん、ありがと。」
「ところで凛ちゃん何時に注射打ったの?」
「12時。きりが良いから。」
「ふーん、そっか。まだあんま変わらないね。」
「うん。でも体中がむずむずするんだ。嫌な感じ。」
「そうかぁ、一日の辛抱だよ!頑張って。」
「うん。…これ何、このお茶。変なにおいする…。」
「え?それ?ゴーヤー茶。」
「ゴーヤー…。」
「うん。友達が飲んでておいしかったから私も飲んでるの。肌とかにも良いし、ビタミンとかミネラルとか豊富で健康にも良いんだって。」
「ふーん。…うわっ、ごめん…俺これ苦手かも。」
「えー、じゃあ私が飲むけどお…。はい、お水。って、あっ!そろそろ戻る!今日は夕ご飯向こうで食べるかもしれない、ごめんね。」
「うん、いいよー。どうせ出前か何か取ろうと思ってたところだし。俺今日何もする気起きない…。」
「そっか、わかった。帰り何か買ってこようか?アイスとか。いちごかき氷買ってくるよ?」
「…うん、お願い。」
「はーい。じゃあ行ってきまーす。」
「いってらっしゃーい。」
「…なんか寛と葵の言動が似てきてるよな。」
「まあな、親子だし。」
「ふっ。そうか、そうだな。」
「…凛、お腹すいただろ。」
「あー、うん。」
「何か作ってやる。」
「えー、カップラーメンでいいからここに居て。」
「だめ。身体に悪い。」
「ちぇっ、じゃあおんぶ。」
「さすがにそれは…。」
「わかってるよ!作るなら簡単なもので良いから早く戻ってきてね。」
「うん。」
寛が消えて行ったキッチンの方からトントンと小気味の良い音が聞こえて来る。
俺よりも手側が良いように感じるのは気のせいだろうか。
それからしばらくして運ばれてきた料理も俺が作ったものよりおいしそう。
なんかホント、落ち込む。
「…。」
「何か嫌いなもの入ってたか?」
「ううん。好きなものしか入ってない。」
「そうか。」
「ずるい。」
「ぬーが。」
「だってなんでも出来ちゃうんだもん、寛。」
「…いや、そんな事はないさぁ。」
「そんな事有るばぁ!」
「…どうした、凛。イライラする?」
「…んーん。」
「おいで。」
「うん。」
「ちょっと不安になってるのかや。」
「…。」
「大丈夫さぁ、わんがいる。」
「うん。」
別にいイライラはしていなかったけれど、少し不安な気持ちはある。
数十年間生きて来た中で初めての経験なんだからそうなっても当然だとは思うけど。
俺はのばされた寛の腕の中に収まると、胸に耳を当てて心臓の音を聞いた。
ドクドクと規則正しく響く心音。
本当だ、この人はここに居る。俺の傍に、居てくれている。
「お腹すいた…。」
「じゃあ食べよ。冷めてしまうさぁ。」
「うん。」
「…そこで食べるのか?」
「うん。」
「わんは別に良いやしが…絶対こぼれるぞ、頭の上とかに。…やめといた方が良いんじゃないか。」
「嫌だ、だったらご飯要らない。」
「凛〜。」
「だって…嫌だぁ、離れたくない。」
「わかった、わかった。じゃあわんが溢さないように気を付けるから、な?」
「うん。」
そうしてふたりで皿に載った料理を食べ始める。
うん、うまい。やっぱりおいしいご飯は気持ちを楽にしてくれる。
「凛。」
「んー?」
「気の所為かもしれないやしが。」
「うん?」
「なんかちょっと小さくなってないか?」
「…え?なにが?」
「…凛が。」
「え…。」
「うん。」
「ええ!しんけん?…これ以上身長差出来たら首痛…。」
「…。」
「でもそっか、女なら仕方ないか。」
「まぁ。」
「それよりさ、これじゅんにまーさん!おかわり!」
「それは良かった。どれくらい?」
「半分くらい!」
「わかった。」
〜♪〜
「ん、メール来てるよ寛。」
「うん。」
「誰からー?」
「葵。」
「えー?なんだって?」
「今日も友達の家に泊るらしい。」
「…イキガか?いや、葵に限ってそんなことは…でもわざわざ寛にメールして来るところが怪しい。」
「まあ、葵も俺達がどうこう口出し出来るような歳じゃなくなったからや。」
「そうだけどさー、なんか寂しいじゃん。」
「んー。」
「…。」
「なあ、もし本当に葵にイキガがいたとして、今日本当はそこに泊ってるとしたらどうする?」
「うーん、本当は相手のやつ殴ってやりたいくらいだけど、でも何も出来ないもんな。」
「…。」
「まあ、俺としてはそれは仕方が無い事だとは思うけど、でもそれを隠されてるってのが一番寂しいかな。」
「…そうか。」
「…。」
「…。」
「ねえ、これおいしかった。」
「うん、にふぇー。」
「夜もなんか作って。」
「うん、何が食べたい?」
「んー…、チャンプルー?」
「ゴーヤ?」
「ううん、フーチャンプルーが良い。」
「わかった。」
* * *
「ただいまー!ごめんね、結局向こう泊っちゃって。」
「おかえり、葵。」
「おかえりー、葵。大丈夫だよー。」
「…え?今の凛ちゃん?」
「うん。」
どたどたどたっ
「きゃー!ちっちゃ!え?なになに?私より小さくなってるー!可愛い!」
「わっ!苦しいよぉ、葵!」
「え?ちょっと待って?何これ!胸有る!」
「うん。」
「…どれどれこの葵さんに触らせてみなさい。」
ムンズッ
「んっ…、何すんだよ!」
「おぉ!割とでかい…フムフム、Dカップと見ましたぞ!」
「…触っただけで分かるのかよ。」
「うん、大体ね。ほら、女の子って触りっことかするじゃない?」
「…さわりっこ…。」
バシィッ
「いってぇー!叩く事ねーだろ!」
「凛が今変な事想像したから。」
「くそっ、なんでバレてんだ。」
「…。」
「…。」
「ところで凛ちゃん、いつ下着とか買いに行くの?」
「え?」
「まさかそんな恰好でずっと居るわけじゃないでしょう?」
「あー、まあ確かに…ブカブカだし…。すっげースカスカする。」
「うん。もしあれだったら下着は私に任せてくれればちゃちゃっと行ってくるけど。」
「あー、いいの?」
「うん。だって私嫌だもん。お父さんがノーブラで出掛けるのとか…。」
「…じゃあ頼む。」
「うん!今行ってきちゃおっと。」
「もう行くの?」
「早いほうがいいでしょ?」
「うん、まあ。」
「家にメジャーあったっけ?…お、あったあった。はいはーい、じゃあ腕広げて。」
「ん。」
「ちょーっと失礼しますよぉ…ふむふむ…、OK。えーと、財布とぉ、ケータイと…よし!じゃあ行ってくるね!」
「おおー。」
「気をつけてな。」
「うん。…あ!寛君、どんなのがいい?」
「あい?なんでわん?」
「えー?だって寛君しか見る人いないんだから寛君の趣味に合わせたほうが良いかなって。…あ、もしあれだったら一緒に買いに行く?」
「いいい行かない!わんはなんでもいいっ!」
「ふーん。じゃあスケッスケの黒いのとかぁ、真っ赤な紐パンとかぁ、ぎらぎらのはっでーな下着とかでもいいんだぁ。」
「…葵、からかわないでくれ。」
「それは俺が嫌!ちゃんと着け易いのにして!」
「ひひひ、ほーい。ちゃんと可愛くて肌触りがよさそうなのにして来るから安心して?」
「うん。」
「いってきまーす!」
「…いってらっしゃい。」
「…寛ー、もう葵も子供じゃないんだね。」
「…ああ、そうだな。」
「わーっ、もう!昔はマブヤーごっこで騙せてたのに!」
「そうだったな。」
「だろ?」
「うん。」
「葵もあれかな、彼氏の趣味に合わせて下着とか選んじゃってるのかな。」
「…さぁ。」
「だってさぁ、この前ちらっと見えたのすっけすけのぎらぎらの紐パンだったんだもん…。」
「え?…全部…。」
・
・
・
「たっだいまぁ!」
「おかえりー。」
「おかえり。」
「ちょうど安くなってたからいっぱい買ってきちゃった。あとはい、これ。アイス。」
「おー!ありがとう!」
「うん。冷蔵庫しまっといてね。」
「うん。」
「じゃあ買ってきたの広げちゃうよぉ〜。」
「うん。」
「えーと、私のもついでに買っちゃったんだよね…。」
「へぇ。」
「この薄いピンクのとぉ、これとぉ、この2つでしょ、それからこっちの水色のと黄色いのも凛ちゃんの。
あとね、このフリフリついてるのは私とおそろいなんだよ!」
「おー、かわいい。」
「でしょ?私が選んだんだからあたりまえ。」
「…ずいぶんたくさん買ったな。」
「下着なんて多くても困らないんだからいいんだよ、寛君。」
「でもさぁ、いまいちムラっとこねぇよなぁ。」
「お!来ると思ってました!ってわけでじゃーん!真っ白レースパンツ!」
「おおー!」
「ふっふっふ…。でも寛君はムッツリだと見てこんなのも買ってみたよ。」
「ぷはっ!なにこれ!狙いすぎ!くくっ。」
「いや、ぜーったい寛君こういうの好きだから!」
「確かに好きそうかも。」
「…。」
「これね、横からシュルって解けるんだよ。凄いセクシー!あははっ。」
「…。」
「あ、解きたくなっちゃった?寛のえっちー。ぷはははっ。」
「〜…っ。」
「真っ赤になってるぅーっ!あははははっ。」
バンッ! ビクッ
「わんは!わんはこの紫のレースが一番好きだ!」
「「…。」」
「あ…。」
「へ、へぇ…。寛君そういう色好きだもんねぇ…。」
「おう、そうだよな、寛スミレ色好きだもん。」
「あ、あのさ、凛ちゃん。あっちでこれ試してみようよ。私かわいいルームウェアも買って来たんだぁ。きっと気に入ってくれると思うよ。」
「あ、そうなの?ありがとう。…どんなのかなぁ…楽しみだなぁ。」
「うん、行こ行こ。」
「…。」
パタン。
「〜っ、ぷはははははっ。」
「ちょっとまって、凛ちゃん。え?寛君…ぷくくっ。」
「ふははははっ。」
「笑ったら可哀想だって分かってるけど!あれはだめだよ!あはははっ。」
「ひー。」
ガチャンッ ピタッ
「…わん、外行ってくる。」
「わー、ごめん!ごめんって!怒んないで。」
「そうそう!私達が悪かったよ。ごめんね?寛君。」
「…。」
「ほら、俺これからこの紫のたくさん着けるから。ぷはっ!」
「だめだよ、これ勝負下着にしなきゃ!あははっ。」
「〜…っ、やっぱりちょっと家出る。」
「わー、ホント!もう言わないから!」
「うんうん、言わない言わない。」
「ちゃんと家の中で待っててね?」
「…。」
「さあさ、男の人は出て行ってくださーい。」
「…。」
バタン。
「ふー、ちょっとやりすぎたか。」
「そうだねぇ…。でも寛君が悪いよ。あれは衝撃的だったもん。」
「だよなぁ。」
「あ、ちなみに紫のもう一個買ってあるよ。」
「お、まじで?もうあれじゃん俺。こっちの紫のレースとそのフリフリローテーションしなきゃいけねーじゃん。」
「ははっ、それじゃあ他のがもったいないからちゃんと使ってね。私Cだから凛ちゃんのじゃサイズ合わないし。」
「んー、わかった。」
「しかしこの両端解けるやつすっげーな。」
「でしょ?ってこれも紫じゃん!いいんじゃない?」
「あはっ、さすがに無い。月一位だろ、これ。」
「えー、結局着けるのかいっ!」
「だーってもったいねーじゃん。」
「まあね。じゃ、今日はどれにする?」
「うーん、やっぱ紫で決まりでしょ。」
「ははっ、このパジャマも着てみて。」
「うん。」
「おお!サイズぴったりだね。」
「うん。」
・
・
・
ガチャッ
「寛君、おまたせー!どう?凛ちゃん可愛いでしょ?」
「…。」
「なに?俺があまりに可愛すぎて言葉も出ない?」
「…似合ってる。」
「ホント?かわいい?」
「うん。」
「♪」
「よかったよかった。」
「うん、ありがとう、葵!」
「どーいたしましてー。」
「…なんかこうなってくると服とか色々揃えたくなってくるなぁ。」
「うん、じゃあ明日あたり皆でお買い物行こうよ。」
「おー、行きたい行きたい。」
「寛君もいいでしょ?」
「うん。」
「よーし、じゃあ決定!」