俺達の日常は、たまにハプニングに見舞われながら、
お互いに助け合いながら、日々慌ただしく過ぎて行った。
それはもう、必死で駆け抜けて来た俺達がびっくりするくらいにあっという間で。
葵ももう、なんと今年で高校生活最後の年だ。本当に、時の早さには驚かされる。
さらに驚くべきは、ついに我らが日本国も、同性結婚を認める法律を可決したことだった。
そのことに喜びを隠せないでいる国民も相当な数にわたっていて、
すでに何組もの同性カップルが婚姻を果たしたそう。
そして俺達にも、ついに夢への大きな一歩を踏み出す時が来た…
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
…パンッパンッ…サッ…カチャカチャ…
よく晴れた気持ちのいい昼下がり。
俺はいつものように家族三人分の洗濯ものをベランダに干している。
葵は中学に上がったあたりからだったか、
『下着は自分で洗うからパパは触らないで』なんて言うようになって、
葵の分の下着はいつもベランダの隅の方に突然現れていたりする。
俺は今日もベランダの脇にひっそりと、
それでも嫌に存在感を放つその一角に近寄らないように注意して洗濯ものを吊るす。
ちらりと時計を見ると、針は午後1時18分を指していた。
この洗濯物を全て干し終えたらお昼ご飯にしよう。
そう決めて、俺は残りの分の洗濯物を干すことに集中した。
それからちょうど、俺が寛の分のパンツを手に取って、
こんなに数あって俺と寛の下着を見分けられるのって凄いよなあ…
とかなんとか余計なことを考えていた時に、突然玄関が開いて誰かが帰って来た気配がした。
こんな時間に誰か帰ってくるなんて珍しいな。
葵は高校だし…もしかして受験の関係とかで授業が早く終わったみたいな感じか?
よくわからないけど…。でも今朝は何も言ってなかったしなぁ…。
寛か?今日は何かあったのかな。
ちらっと振り向くと、寛が玄関で靴を脱いでいるのが見えた。
「あ、寛か。おかえりー。ずいぶん早かったな。」
「…。」
「何かあったのか?こんな早くに帰ってくるなんて。」
「…。」
「おーい、ひろっ、…し?」
何も答えない寛を不審に思って振り向こうとした時、後ろから突然力強く抱きしめられた。
表情は見えない。息を切らしている。どうやら走ってきたみたいだ。何かあったのだろうか。
「寛?どうした?」
「…。」
「なにかあった?」
「…出来た。」
「え?なに?」
「…薬、やっと完成した。」
「え…。」
そう言って寛は、俺の右手に何かを握らせた。
袋に入った小さな何かが俺の手に収まっている。
もしかしてこれが、その薬?答えは聞かなくても分かる。きっとそうだ。
俺は驚いたのと混乱したのとで、しばらく右手に握らされた小さな物体をぼーっと眺めていた。
すると寛が今度は俺の左手を取ってギュッと握りしめた後、
ポケットを探ってその薬指に何かキラキラしたものを嵌めた。
それからさらに俺を抱きしめる腕に力を込めて大きく息を吸い込んだ後、
緊張気味に震えた、けれどはっきりとした声で言った。
「凛、わんと結婚してください。わんの子供、産んで下さい。」
その声が俺の耳に届いた瞬間、一瞬にして時が止まったように頭の中が真っ白になった。
ずっと夢見てた瞬間が、今現実になっている。
左手の薬指を見ると、そこには俺の指にぴったりと嵌った銀色の指輪が輝いていた。
「ほん…と?」
信じられない。こんな幸せな事が実際に起こるなんて。
それでも俺を抱きしめる寛の首は縦に何回か振られて、
それが嘘じゃないって、今現実に起こっている事なんだって俺に教えてくれた。
俺は勢いよく振り返って寛の首に両腕を回すと、寛に負けないくらいの強さでギュッと抱きしめた。
「寛!」
「…。」
「ひろしぃっ、…俺、でーじ嬉しい。…っ絶対、ぜーったい、俺が今世界で一番の幸せ者さぁっ…っ、ふっ。」
「うん、よかった。…わん、約束守れてるよな。」
「うんっ、うん。最高に幸せだもんっ…、俺。」
「それで、結婚してくれるのか。」
「当たり前やっし!」
「ふふっ。…はあ、よかった…しに緊張したさぁ。」
そう言いながら寛がそのままずるずると床にへたり込んだ。
なんて可愛い人だろう。俺が断るはずなんて無いのに。
「俺が断るわけないだろ。」
「うん。分かってたけど、やっぱこんなの初めてだし、緊張はする。」
「…そっか、ありがとう。指輪も、ぴったり。」
「うん、よかった。」
これは俺が寝ている間に測っておいたそうだ。
全然気がつかなかった。
薬が完成間近になって、買っておいたてくれたらしい。
「急いで来てくれたんだね?」
「うん。ずっと待ち望んでた瞬間だったから、早く凛に伝えたくて、薬が手に入って真っ先に走って来た。
こんな雰囲気も何もない所で悪かったやしが…。」
「気にしないばぁ、そんなこと。ホントに、でーじ幸せ。」
「うん。」
それからどちらともなくよせ合った唇は、お互いの幸せを通じ合わせるようにして重なった。
幸せの、温度が伝わって来た。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ただーいまー。」
「おぉ!おかえり、葵!」
「おかえり。」
「あれ?寛君が私より先に帰って来てるなんて珍しいね。」
「ああ、これからしばらくは休みになると思う。」
「へえ、そうなんだ。何かあったの?」
「うん。」
「葵!見て!じゃーん!」
「え?なあに、パパ。……え!うそうそ!何これ!え!これって…。」
「うん、婚約指輪もらちゃった!」
「えぇぇええぇ!!うそぉ!パパ達結婚するの!?」
「うん、そうなんだ。」
「…相変わらず良いリアクションやっし。」
「そんな暢気なこと言ってる場合じゃないって、寛君!だってそれって寛君が私のお父さんになっちゃうって事だよ?」
「うん、だーるな。…嫌か?」
「ううん、全然嫌じゃないけど!えぇー!やっぱ信じられない!」
「で、薬も完成したから寛はしばらく休みなんだ。」
「えぇぇぇえええぇっ!?もう、…うそ…みたい…。」
「うわーっ、ちょ、葵ぃー!?」
「…。」
「どうしようこれ。倒れちゃった。」
「…わんが運んどく。」
「うん。」
「部屋のドア開けといてくれ。」
それからしばらくして目を覚ました葵と3人で、いつもより豪華な夕食を取る。
「パパー。」
「ん?」
「思ったんだけど私、今のが最後のパパって呼び掛けかもしれない。」
「え…。」
「だってほら、寛君もパパになっちゃうんだったら、呼び掛けた時どっちの事か分からないじゃない?
それに寛君だけをずっとそんな風に呼ぶのもなんかよそよそしい感じがするし、
だったらパパの事名前で呼んじゃおうかなぁ?なんて…変かなぁ?」
「…。」
「いいんじゃないか?なぁ、凛。」
「え。…え?名前で呼ぶってどういうの?」
「凛ちゃんって。」
「ちょ、なにそれ!でーじくすぐったい感じする。」
「ふっ、確かにやぁ。わんも最初そうだったさぁ。」
「それにちゃんなの?君じゃないの?」
「…ダメ?」
「う〜っ。」
「そのうち慣れてくるさぁ。」
「そうかなぁ?でもこの年して娘に名前で呼ばれてるのって変じゃないかな?」
「凛は見た目が若いから大丈夫。」
「んー、そう?…じゃあいっか。」
「ホント?じゃあこれからそう呼ぶ!」
「うん…でも、最後にもう一回だけ呼んで。パパって。」
「うん。おめでとう、パパ。」
「う〜…っ、どうしよう寛。俺涙出て来た。」
「ほら、なにも葵が結婚しますって言い出したわけじゃねーらんさに。」
「そうだけどぉ…。」
「…凛ちゃん、私だってもう結婚できる歳なんだよ?本当にお婿さん連れてきた時どうするの。」
「うわぁーーーっ寛ぃっ!葵が俺を泣かせようとするようっ。」
「凛だって今の葵の歳に結婚したさぁ。」
「うっ…。」
「それに、今日は俺達の特別な日やっし。だからずっと笑ってないと。なあ、葵。」
「そうだよ。私だって今日は凛ちゃん達のおめでたい日だからふたりの嬉しそうな顔、もっと見たいって思うよ。」
「…うん、そうだな、今日は最高に幸せな日だもんな。」
「うんうん。…いいなぁ、結婚。私も早く結婚したいなぁ…なんて。」
「ははっ、葵は結婚したい相手居るのか?」
「えーとね、…うん。へへっ。」
「へえ。葵がわんのことしちゅんって言ってくれてたのが懐かしく感じるな。その人と上手く行くといいな。」
「ありがとう、寛君。」
「確かに、懐かしいなぁ…って、え?結婚したい人?誰だ!誰だ連れて来い!」
「もう…今そんなこといいじゃない?」
「それよりちゃんと食べろよ、凛。」
「どこのどいつが葵に!パパが!パパがちゃんとした奴なのか確かめてやる!」
「おいっ、落ちつけ凛!」
「きゃ〜っ、もう凛ちゃん!なにやってんのよぉ。お茶こぼれたじゃない!」
「だって葵が結婚ってー!」
「だからそれは私が勝手に思ってるだけでまだ結婚するなんて言ってないでしょ!」
「寛ぃ〜〜っ!」
「うわっ。」
「きゃあっ危ない!」
ドタンバタンッ!
…結局この日は笑ったり泣いたり、なんだか忙しい一日だった。
そして俺達の忘れられない、幸せな思い出の一ページになった。