葵の誕生日当日。
うちの子はまたひとつ、大人に近づいた。
寛はあの約束の日から毎日忙しそうにしているけれど、
それでも葵の誕生日にはちゃんと予定を空けておいてくれた。
何よりも俺たちの事を一番に考えてくれる、優しい奴だ。
「さて、そろそろ準備しよう。」
今日は大分ハードスケジュールだ。
水族館に花火、蛍、それからその前に急遽裕次郎の家にお邪魔することにもなっている。
葵はどうしても裕次郎ん家の息子と遊びたいらしい。
急な事だったのに夕飯を御馳走してくれるという裕次郎の奥さん。
少し申し訳ない気分だけれど、素直にお言葉に甘えさせてもらうことにした。
「パパ、かみ結んで。」
ようやく着替え終わったらしい葵がリビングの方へやって来た。
俺は葵を膝に座らせてから髪をとかしてやって、お気に入りのターコイズブルーの髪留めで髪を結ってあげた。
「パパ、ありがとう」なんて言いながら嬉しそうにしてるのを見ると、こっちまでつられてニコニコしてしまう。
それからちらりと時計を見て思い出す。そうだ、そろそろ寛を起こさないと。
寛は毎日忙しそうにしているし、休みのときくらいは出来るだけ長く寝かせてあげようって事でそのままにしておいた。
だけど、あまり長く待たせると葵が飽きてしまいそうだからな。
今はご当地ヒーローの特撮番組を楽しそうに見ているから心配ないだろうけど。
俺は寝室に寛を起こしに向かった。
「ひーろしー、朝だぞー。」
「…。」
「おーい、葵が拗ねる。」
「…。」
寛は俺の呼び掛けにうんともすんとも言わない。
それどころか微動だにしないでうつ伏せている。
なにか良い夢でも見てこちらの世界に戻ることを渋っているのだろうか。
そんなとこ邪魔して悪いけど。
「寛ー、悪いけどもう起きてくれない?そろそろ準備しないとまずいんだ。」
「…。」
「おーい、聞こえてる?…ひろしっ、うわぁっ!」
…いってぇ。…なにこの状況。
急に布団から伸びて来た腕に引きずりこまれて…
それからなんか、いつの間にか布団に組み敷かれてる?
あの、この両腕を掴まれてるのは一体何なんですかね、なんか束縛されてるみたいで嫌だ。
…あ、キスされた。で、服の中に手が伸びてくるわけね…。
って、え?なんでなんで?なんで突然こんな事に?
まずいよまずい。完全に寝ぼけてる!いや、なにも今じゃなくたっていいじゃん!!
「ちょっと、は・な・せ!」
くそっ、体勢的にこっちが不利だ。
そんな風に俺がじたばたとしてる間に、いつもタイミングの良いはずの葵の足音がパタパタとこちらへ向かってくるのが聞こえた。
うわ、なんで…こんな時に限って。
「パパ、パパー!すごいよすごい!あのね、マブヤ―が新しい技でね、ヒューンってなってね、バーンってハブ…やっつけた…の。……パパ達、何してるの?」
「う…え?えと、マブヤー…ごっこ?…カナミー、助けてぇ。」
「そっか!でも、パパはハブが好きだから私の仲間じゃないよ。」
「えー…、パパは良いハブしか好きじゃないし、助けてくれたっていいじゃんよ。ほら、この腕ほどいてくれるだけでいいから。」
「でもね、そうしたら悪い封印が解けちゃうかもしれないの。」
「もー…。ちょ、んぁっ…ホント止めて、お願いだから娘の前でこんな羞恥耐えられない…。」
するとそんな俺の様子を見て哀れに思ったのか、葵が助け舟を出してくれた。
「…とう!フェーヌ・アターック!」
「うっ…!」
葵のひと蹴りをくらった寛が呻き声をあげて俺の両腕を解放した。その隙を狙って布団から抜け出す。
なんだかんだ言って最後には絶対助けてくれるんだからな、葵は。
「葵!ありがと!!」
「葵じゃないわ!カナミ―よ!」
「カナミー、ありがとう!」
「うん。それよりね、もうすぐテレビ終わっちゃうの。私早くサメさんに会いたい。」
「あー、ごめん。すぐ用意する。」
「うん!それじゃあさ、待ってる間お絵かきしてていい?」
「いいよ、でもあんまり汚さないでね。」
「わーい!わかった!汚さないよ。」
切り替えが早い…
でも、助かった。葵はある意味タイミングの良い事をしてくれたのかも知れない。
あのまま始まってるところを見られたりなんかしてたら俺…どうしてただろう。
考えただけで恐ろしい。
…それより早く
「お・き・ろ!」
「っ…たぃ…。」
「あ?」
「背中…痛い。ここ。」
「どれ?」
「…。」
「…な、何にもなってないし大丈夫だろ。ほら、起きて。」
「んー…。」
嘘だ。葵が蹴ったところが結構な痣になってる…。でも自業自得じゃないか。
どうせあれだろ、あんな所自分じゃ見えないし。大丈夫大丈夫。
「はい、手。」
「んー、ありがとう。」
俺が手を引っ張ってやると、寛は背中をさすりながらのろのろと起き上った。
相変わらず軽い。それでも最近は少し体重が増えたって言っていた気がする。
幸せ太りか、そうなのか。
…今はそんな事言っている場合じゃなかった、早く準備してくれ。
「寛ー、パン?ごはん?」
「…ごはん。」
「ん。用意しとくから着替えて来て。」
「うん。」
台所に戻ってレンジで冷凍しておいたご飯と昨日のおかずを温めていると、着替え終わったらしい寛がリビングにやってきた。
「寛くんおはよー!今ね、ひろしくん描いてるの。描けたらあげるね!」
「うん、ありがとう。それと、とぅーしびーかりゆし、葵。」
「かりゆし?」
「葵、寛は誕生日おめでとうって言ったんだ。」
「そうなの?うん!ありがとう、寛くん!」
「うん。…んっ…。」
「…どうしたの?」
「いや、何でもない。」
「背中、痛いの?」
「いや、大したことない。」
「私に見せて。」
「大丈夫だって。」
「……わ!大変!痣になってる!ごめんね、さっき私がけっちゃったから。パパ、しっぷはってあげなきゃ!」
「お?おう、湿布?たしかその引きだしの下にあった気が…無いか?」
「…あった。寛くん、今はってあげるから待っててね。」
「うん。」
「…よし。はい、できた。」
「ありがとう。」
「どういたしまして。」
葵は引き出しから取り出した湿布を寛の背中にそっと貼ってやっていた。
ハサミも入れていない大きいままの湿布だけど、無いよりはいいと思う。
ふむ、そうか。
俺だったら放っておくようなこともこの子は気が使えるから。
道理でモテるわけだ。わが子のことながら誇らしい。
「寛。はい、ごはん。」
「うん、いただきます。」
「どうぞ召し上がれ。」
「ねぇねぇパパ、ここにハブって書いて。」
「ハブ?なんで?別にいいけど。…あれ?これって何偏だったっけ?」
「人偏だろ。」
「そうか、…はい。」
「わ!すごい!良くこんな難しい字分かったね。それにきれいな字。」
「うん。ハブは俺のテニスの必殺技だし、美術も得意だったからな。」
「へえ、必殺技?どういうの?」
「凛のハブは凄いんだぞ。並大抵の奴じゃ返すこともできない。」
「そうなの?すごい!私見てみたいなぁ。寛くん、今度パパと戦ってみて!」
「んー、俺達はパートナーだからなぁ。戦うことはしないんだ。」
「そうなんだ…。じゃあ、裕次郎くんは?」
「裕次郎?ああー、あいつはシングルスだからダメだ。」
「シングルス?」
「うん、ひとりぽっち。ぷ。」
「おい。」
「わかってるよ。つまりあいつは強いんだ。だから一人でも戦える。」
「へえ、パパ達よりも裕次郎くんの方が強いんだ!」
「…その言い方は癇に障るなぁ。別にそうとは決まってないぞ。パパだって強い。」
「そうなの?誰が強いか戦ってみてほしいなぁ。」
「んー、それにはもう一人参加者が必要だからなぁ。ま、機会があったら。」
「うん!」
「…ごちそうさまでした。」
「ん、流しに下げといてくれる?」
「うん。歯、磨いてくる。」
「了解。」
寛は食器を流しに置いた後、歯を磨きに洗面所の方へ消えた。
それを待っていたみたいに、葵が俺にひそひそと話しかけて来た。
「パパー。」
「ん?」
「寛くん、おこってないかな?」
「どうして?」
「だって私がけっちゃったところすごく痛そうだったよ。」
「大丈夫だろ。それより俺が嘘ついた事の方がいけなかった…。」
「え、パパ寛くんに嘘ついちゃったの?謝らなきゃ。」
「え、もう平気だろ。…気にしてないはず。」
「だめだよ、嘘はいけないよ。」
「そうか?あれは別に。」
「あ、寛くん!パパが言いたい事あるって。」
「は?え…。」
「ん?どうした?」
「い、や…ええと…本当はすごくでかい痣出来てたのに、何もなって無いって言ってごめん…。」
「…ああ、別に気にしてない。」
「…。」
「よかったね、寛くん許してくれて。」
「…う、うん。」
なんなんだこれは。なんで今日はみんなして俺を辱めようとして来るんだ。
やめてくれ。そういうの苦手なんだよ。
「凛、俺は準備出来たけど。」
「あ、ホント?よし、じゃあ葵も早く片付けちゃって。それ片付けたら行くから。」
「うん、急いで片づける!」
そう言って本当に猛スピードで片づけを終えた葵を連れて家を出ると、俺たちは3人で車に乗り込んだ。
目指すは水族館!今日も一日この子が楽しく過ごせますように。