夜、部屋の電気を消して布団に入る前の15分。
カーテンを開けて外の様子を眺めることが日課になってしまったこの頃。
週に2、3回、この時間になると彼女が家の前を通り過ぎていくことに気が付いたのはほんの少し前のことだ。
その日、母親に頼まれて店の後片付けを手伝っていたところに通りかかった彼女を偶々目撃したことで知った。
すらりと背の高い凛とした佇まいと、月の光を反射して金色に艶めく長い髪。
風に揺れるワンピース、レースのグローブ、ハイヒール。
どこか異国の情緒を漂わせ、泳ぐように颯爽と道を行く。
そんな彼女に俺は、人生で初めての一目惚れをした。



どこか夜の街にでも繰り出す途中なのか、こんな時間に女一人で夜道を歩いている。
彼女の姿を見るのは実に3日振りだった。
いつも同じ時間、同じ場所で彼女を見かけるのだけれど、日にちや曜日に何か規則性があるわけでは無いようだ。
だから彼女がいつ現れてもいいようにと、こうして毎日部屋の中から外の様子を眺めている。
自分がストーカーみたいなことをしているのは重々承知で、
でも彼女がここを通るだけで心が満たされたような気になるんだからやめようにもやめられない。
いっそ見つかってしまえば終わりにすることも出来そうなものだけど、
本心では見つかってほしくないと思っているからこそ部屋の明かりを消して彼女を探すんだろう。
小心者の俺には彼女に話かけることなんて到底出来ない。
大体俺は英語が苦手なのだ。
仮に彼女に話し掛けることが出来たとしても、まともな会話になんてなるはずがない。

「…っ!」

気が付くと、彼女が俺の家の前で立ち止まり、こちらを見ていた。
―見つかった―
そう思った時には彼女が走り出してしまっていて、俺はカーテンを閉めることも出来ずにただ呆然と窓の外を見つめる。
その時、キュッと絞ったような声がして、それと同時に彼女が派手に地面に倒れこんだ。
慌てて逃げようとした所為で何かに躓いて転んでしまったのだろうか。
どうしよう、俺の所為で彼女に怪我をさせてしまったかもしれない。
そう思うと居ても立ってもいられなくて、咄嗟にいつも部活で使っている救急セットの入ったテニスバッグを掴み彼女の元へと向かっていた。

「あ、あの、わっさいびーん!わ、わんがしかませた所為で…。」
「…。」
「えと、け、怪我したところとかあらんばぁ?大丈夫?」
「…。」
「もしかして、日本語わからん?あの、えーと…、ァ、アーユー…あらん、ドゥーユーアンダースタンド?…ソ、ソーリー…アイムソーリー。」
「…………………っ、っ、っ。」
「な、…わ、わんなんか変なことあびたか?え、英語変だった?発音おかしいかや?」

俺がなけなしの知識を振り絞って謝罪していると、彼女が肩を震わせ、声を押し殺しながら笑い出した。
なんだか恥ずかしくなって日本語全開の質問をまくし立てる俺に、彼女はぶんぶんと首を横に振る。

「あ、日本語わかるばぁ?…わんがあびってることわかる?」

俺のその質問に首を縦に振る彼女。
とりあえず俺の言っていることは理解できるようだ。

「それ、左手大丈夫?怪我してねーらん?」
「…。」
「ごめんね、ちょっと見せてね。」
「っ…。」

俺が上から見ていた限りでは、彼女が躓いた時に左手をついて転んだように見えた。
彼女は先ほどから左の掌を右手で覆い隠しているし、そこを怪我した可能性が高い。
そう思ってその左手を取り見てみると、案の定レースの手袋には血が滲んでいて、手首から肘にかけての半分ほどに擦り傷が出来てしまっていた。
あれだけ派手に転んだのだから怪我は決して軽くは無い。
傷口から菌が入ると大変だし、怪我の治療は必要不可欠だ。
俺はカバンから救急セットを取り出して、彼女の手袋に手を掛ける。
すると彼女は勢いよく手を引いて、首をぶんぶんと大きく横に振った。

「え、やしが…手当てしないと、菌が入ったりしたらでーじやっし。」

それでも首を振り続ける彼女。

「大丈夫、手当てするだけやっし。心配せんでもなんもしねーらんよ、やくとぅわんに見せて、左手。」

落ち着けるようにそう言うと、彼女は俯いたまま黙り込んだ。
それを肯定だと受け取って、そっと左手の手袋を外す。
思ったより傷が深く無かったことに安堵したものの、怪我をさせたのは事実。
それにどうであれ彼女が痛い思いをしたのだから、その原因を作った俺はとにかく後悔の念に苛まれた。

「わっさん…、綺麗な手なのに。」
「っ…?」
「痛いかもしれんしがちょっとだけ我慢して欲しいさぁ。」

出来る限りの丁寧さで傷口に消毒液を塗り、大げさなまでの処置で包帯を巻く。
最後に包帯の端をテープで留めたら、彼女の腕をゆっくり離した。

「終わった…やっさ。」
「…。」
「…大丈夫?他に怪我したところ、ねーらん?」

その質問に彼女が首を横に振り、立ち上がった。
それにならって俺もその場から立ち上がる。

「……………………。」
「……………………。」
「じゃあ…、その、わんはもう戻るさ。」
「…。」
「ま、またなんかあったら言って、わんここに住んでるから。」
「…。」
「今日のことはわっさんや。」
「…。」
「…じゃあ、あの、んじちゃーびら…気を付けて行ってね。」

そこまで言って彼女からの反応はなく、なんとなく気まずい空気が流れたので、見られていると行きづらいのだろうと考えて部屋に戻ろうと踵を返す。
すると突然彼女に腕をつかまれ、俺は慌てて振り返る。
彼女はガサゴソとカバンの中を漁り、一本のペン状のものを取り出した。
それからふたを開け、上部をひねって出てきたペン先で俺の手の平に何かを書いてから足早に行ってしまった。
彼女の後姿が見えないところまで行ってしまうと、部屋に戻って電気をつける。
俺の手の平には濃い色鉛筆のようなもので文字が書かれていた。


―Thank You―


ありがとう、か、そんな言葉をかけてもらえるようなことは何もしていないのに。
そうは思ってみてもやはり、掌に残る独特の丸みを帯びたアルファベットの羅列が嬉しくて仕方がない。
AやYに少しクセのあるその字体が、立ち去り際に残した爽やかでやさしいあの香りが、彼女にぴったりだと思った。



back/next