「凛くん…。」
「ん?」
「寒い。」
「…じゃあコレ掛けとけ。」
「うん。」
「おやすみ。」
「凛くん…。」
「ん?」
「暑い。」
「…は?きっさ寒いって。」
「ん…身体は熱いのに、寒気がする。」
「…お前、熱でもあんじゃねーの?」
「違う、…と思う。だって俺熱なんか出た事ないし。」
「バカ、今まで出た事無いからこれからもっていうのは無いだろ。…おでこ、だしてみ?」
「ん…、凛くんの手、冷たくて気持ちいい。」
「…熱い。完全に熱だ。」
「マジで…赤ちゃんの時以来だ。」
「それ、熱出てても気が付かなかっただけなんじゃねーの?バカは風邪引かないってそういう意味だろ?」
「そうなの?俺はてっきり馬鹿には風邪菌が移らないって事かと…。」
「まぁとにかく、これ…これで熱測っとけ?ちなみにそれは体温計といってだな、
ボタンを1回押してから脇に挟むと体温を測ってくれる。ピピピって音がしたら測定完了って事だからな?」
「…それ位いくら俺でも知ってる。」
「くくっ…ふぁ〜、眠みぃ…えーと、風邪薬何処にやったかねぇ。」
「…ごめんね。」
「んー?何が?」
「夜に、めんどくさいでしょ。」
「別に〜?裕次郎の為ならこのくらい何でもないですよ〜。」
「へへっ…今日は優しいな、凛くん。」
「いつも優しいだろ?」
「そうでしたぁ。」

夏風邪

―ピピピッ、ピピピッ―

なんと、この俺が風邪を引いたらしい。
幼い頃から身体だけは丈夫だったために、物心ついてから熱を出した記憶なんて無いに等しかった。
東京に来てからこっち、凛くんは季節の変わり目に風邪を引くという事は良くある。
けれど、俺にはまったく縁が無いものだと思っていたからこんなことは本当に珍しくて、正直今の気持ちとしては辛い、よりも好奇心の方が勝っている。
記憶にある中ではほぼ初めての経験に少しだけワクワクしてしまっているというか、俺でも風邪なんか引くんだ、みたいな。
ただ、それも風邪の引き始めのまだまだ症状が軽い内の事だけで…。
たかが風邪だなんて、油断出来ないなって思った。
辛いのもそうだし、なんだか自分が女々しくて弱弱しい男になったみたいなあの感じ、とかもね。

「ゆーじろ、俺行ってくるから。」
「…うん。」
「ついでにDVDも返してくる。」
「うん。」
「あ、なんか食べたいものは?」
「冷たいの…。」
「ん、帰りに買ってくる。」
「うん。」
「じゃあな。何かあったら電話しろよ?」
「うん、気を付けてね。」
「おぅ…ちゃんと寝てろよ?」
「ん。」
「…本当にひとりで大丈夫か?」
「うん。」
「分からない事あったらいつでも…」
「ねぇ、遅れちゃうよ?」
「…おぅ、そうだな、じゃあ本当にもう行く。」
「うん。」
「いってきます。」
「いってらっしゃい。」

パタン、とドアが閉まると、途端に部屋が暗くなったように感じた。
少しの間だけ差し込んでいた外の光と、あの明るい金髪が視界に入らなくなった所為かも知れない。
今しがた部屋を出て行ったばかりの愛しい恋人の言いつけ通り、目を閉じて眠る態勢に入る。
けれど静かな部屋でやけに大きく響く冷蔵庫の音に邪魔されて、なかなか寝付く事は出来ない。
仕方なく水分を補給しに水道へ向かおうとしたのだけれど、
一歩踏み出した瞬間に身体がグラっと揺れる感覚と全身の痛み、それから頭痛とが一気に押し寄せてきてかなり辛い。
こんな少しの距離間の移動だけでも一苦労な状況に陥ってしまったのだと考えると、この部屋にひとり取り残された事が急に不安になってきた。
今何かあったらどうしようとか、凛くんが帰ってくる前に電話するのも辛くなるくらいに病状が悪化したらどうしようとか、そんな不安。
それから何故か、とても寂しくて、人恋しい。

『もしもし裕次郎?どうした?なんかあったか?』
「…ううん。」
『…俺、今ちょうどDVD返し終わったとこ。』
「うん。」
『…もう一回聞くけどよ、本当に何も無いのか?風邪悪化したとか?』
「ううん、なんも…大丈夫だよ。」
『…あ〜、分かった。お前寂しいんだろ。』
「…。」
『図星?』
「…。」
『アレ、切れてる?…なんだよ繋がってんじゃん…おーい。』
「凛くん。」
『あぁ…、びっくりすんだろ、無視すんな。』
「ごめん。」
『で?…お前が寂しくて死んじゃうーってくらい寂しいなら今から即行で帰るけど?』
「ダメだよ、ちゃんと学校行って来て。」
『えー…。』
「だって、俺が風邪引いたくらいで凛くん休ませちゃ悪いし。」
『んー…、そうか。』
「…うん。」
『でもお前今泣きそうな顔になってんだろ。』
「…なってない、し。」
『ホントかよ…じゃあ寂しく無いんだ。』
「…さみしいよ、すっごく。」
『ははっ、分かる。風邪引くと皆そうなるんだぜ?』
「…そうなの?」
『おぅ。』
「凛くんでも?」
『あー?俺は…うん、まぁなるな。』
「くくっ、そっか…じゃあもう少し我慢する。」
「うん。」
「あ、…電話切っちゃう前にさ、1回だけで良いから好きって言って。」
『は?…今外なのに?』
「…ダメ?」
『んー…あ、そうだ……裕次郎、かなさんどー、すぐ帰るから待ってて。』
「うん、ありがとう、待ってる。」
『おぅ、じゃ。』
「ばいばい。」

気が付いたら手に取っていた携帯でリダイヤルを押していた。
繋がった相手はもちろん凛くんで、すぐに出てくれた事がとても嬉しかった。
短い会話だったけれど、お願い事も聞いてくれたし、いつもより少し優しい声を聞かせてくれた。
寂しいけれど、凛くんが授業を終えて家に帰ってくる間くらいは我慢できそうだ。
俺は今切れたばかりの携帯電話を胸の前で握りしめて、布団を被りなおした。

「…水。」

先ほど水分補給をしてからそう経っていないのに、汗を沢山かく所為かやけに喉が渇く。
再び足をフラフラさせながら水道まで向かい、コップに並々水を汲んで一気に飲み干した。

「はぁ〜…。」

使用したコップは洗わずに台所に放置し、そのままベッドへ向かおうと足を踏み出す。

「っ…!」

途端に激しい吐き気に襲われて、振り返って台所に嘔吐してしまった。
今飲んだばかりの水しか出ない。
そう言えば、朝はほとんど何も食べていないのだった。
しばらくして落ち着いて来たところで、急いでベッドへ向かう。
横になると少しだけ楽になった気もするけれど、身体の節々がじわじわ痛んで眠れない。
油断すると鼻水もひどいのでティッシュを抱えている状態。
鼻のかみ過ぎで鼻がヒリヒリしてきたし、頭痛もひどい。
もうなんだかすごく、泣きたい気分になった。
一度そう思うと余計に辛くなってきて、じわっと涙が溢れ出したかと思うと次から次へとボロボロ零れてくる。
結果さらに頭痛がひどくなって、鼻をかむ為に用意したティッシュが涙で直ぐに消費されて行く。
何をした訳でもないのにどんどん溜まってゆく使用済みティッシュの山に、意味も無く情けない気分になった。

―ガチャガチャ、…ガチャンッ―

「ゆーじろー、ただいま。」
「…っ…、…。」
「あれ、寝てんのかな。」
「…りんくん。」
「あ、起きてた…って、え!?なになにどうした!?」
「うぅぅぅっ…凛くーん、…頭痛い、鼻水止まんない、気持ち悪いぃぃぃ。」
「あー、よしよし、辛いな、薬飲んだか?なんか食べれる?」
「食べれないぃぃっ、気持ち悪くなるっ。」
「んー、でもなんか腹に入れとかないと良くならんしなぁ。とりあえずスポーツドリンク飲んどけ?あと薬。おかゆだったら食べれるだろ?今作るから。」
「…分かんない、けど…さっき水もダメだった。」
「…え?水ダメだったって、吐いたのか?」
「ん。」
「お前それ大丈夫?病院いくか?」
「…ヤダ。」
「やだっつっても。」
「病院に行くまでが辛いじゃんー。」
「…じゃあ、分かった。もっとひどくなったら即行病院な。」
「…え。」
「倒れたりしたらヤバいし。」
「ん。」
「でもとりあえず水分補給はしとけ?それ出来ないと本格的に危ないしよ。」
「…うん。」
「大丈夫、吐かないって思えば吐かないから。」
「うん。」

凛君に言われた通り、吐かないって自分に暗示をかけながら少しずつスポーツドリンクを飲んだ。
本当に、さっきより楽に飲めた気がして嬉しくなる。

「…どうだ?」
「うん。」
「大丈夫?」
「うん、大丈夫みたい。」
「そうか、良かった。もう少しいる?」
「うん、欲しい。」
「ん。」
「ありがと。」
「うん、まだあるし無くなったら買ってくるからいっぱい飲め?」
「うん……っ、…ぅっ…、」
「わっ、え、ちょ、待て待て、はいっ、コレ!これに吐いて良いからっ!」

少量の水分では吐き気は無かったのに、一定の量を超えると吐き気を催してしまう様だ。
凛くんは突然口に手を当てて呻き出した俺にびっくりした様だったけれど、慌てて近くにあったゴミ箱を俺に差し出して、背中をさすってくれた。
胃液しか出ないのを無理に吐きだして、それだけでものすごい疲労感が襲ってくる。
もう、動きたくも無いくらいで、ただ頭がぼーっとした。

「これで口濯げ、ゴミ箱に水吐けば良いから。」
「…。」
「ほら。」
「ありがとう…。」
「マジで、水もダメなのか…これはかなりヤバいな。」
「…。」
「やっぱ病院いこ、俺が連れてってやるから。」
「…うん。」
「保険証財布?」
「うん。」
「じゃーあ、財布と…車の…カ、ギ…あ、裕次郎、あったかい格好してけよ?」
「うん。」
「はい。」
「あんがと…。」

バサッと頭から凛君に掛けられた上着を羽織って、前を限界まで閉める。
冬でもないのに上着を着込んで、それでも暑いとは感じなかった。

「…着れた?」
「うん。」
「ほら。」
「え?」
「…乗れって。」

凛くんは俺が上着を羽織るのをじっと見て、着終わったのを確認すると、俺の座る横にしゃがんで背中を向けながら両腕を開いた。
意味が分からなくて疑問の声を上げると、凛くんは察しろとばかりに困った顔をして顔だけこちらに振り向く。
俺は少し戸惑ったのち、好意に甘えてその背中に体重を預けた。

「おいっ、しょ。」
「…ごめんね、重いでしょ?」
「いんやー、全然。…知ってるだろ?俺だって鍛えられてるんだぜ。」
「うん。」
「…裕次郎の靴も持ってった方が良いよな?うん、持ってこう…で、鍵閉めて、…オッケー。」

―カン…、カン…、カン…―

くてっと力を抜いて頬を凛くんの肩に乗せるようにして背負われていると、凛くんが俺に気を使ってゆっくりと歩いてくれているのが分かる。
こんな風に凛くんよりも重い俺の全体重を預けてしまっている状態なのだから絶対に重く無いはずなんてないのに、
文句ひとつ言わずに優しく心配する言葉を掛けてくれる凛くんが、嬉しくて、暖かくて、頼もしくて、本当に愛おしい。
無意識のうちに首筋に顔をうずめるように額をスリスリしていると、凛くんがくすぐったいよって言いながら笑った。

「シートベルト、装着!…って、裕次郎の着けてねーし…。」

車の助席に降ろしてもらって、凛くんが隣の運転席に座ってからシートベルトを着けるまでの動作をぼーっと眺めていたら、
すっかり自分の方のシートベルトを締めるのを忘れてしまっていた。
教えてくれれば自分で出来るのに、凛くんはわざわざ締めたばかりの自分のシートベルトを外してまで俺の方を着けてくれる。
なんだかここまで優しくされると、少しだけ気恥ずかしい気分になった。

「よし、出発!」
「…。」
「気分悪くなったらすぐ言えよ?あと、この袋持っとけ。」
「うん。」

背もたれを少し倒して背中を預け、渡されたビニール袋を握りながらぼーっと凛くんの様子を眺める。
大分見慣れて来た凛くんの運転中の姿だけれど、やっぱり格好良いなって思った。
そう言えば。
今、時計を見て急に疑問に思った。
凛くん、学校はどうしたんだろう?
あの時、凛くんは電話を切ってからすぐに帰ってきたのだった。
その時は体調が辛くてあまり気にしていなかったけれど、もしかすると俺の所為で休ませてしまったのかな。

「凛くん、…学校休んで来てくれたの?」
「お?…おー、だって電話切る時すぐ帰るって言っただろ?」
「アレ…、そう言う意味だったの?」
「うん。」
「そっか。」
「でも、早く帰って来て正解だった。」
「うん、ありがとう。」
「どういたしまして〜。」

病院に着いて、解熱の為の注射と吐き気を抑える点滴をして貰った。
一時間程度の点滴中、ずっと隣に居てくれた凛くんと話しながら時間を潰すとあっという間だった。
終わった後に処方箋を受け取ると、お医者さんが凛くんに俺と一緒に住んでいるのならば風邪がうつる可能性もあるので気を付けるようにと言っていた。
家に帰って1時間もすると、熱が引いて水分も受け付けるようになった。
さすがに病院に掛かると違うなぁと実感しつつ、凛くんに言われて布団でおとなしく目を瞑る。
風邪を凛くんにうつさないようにと、この暑い時にふたりしてマスクを着用中だ。
少し息がしにくいけれど、我慢我慢。
凛くんがこんな思いするなんて嫌だもんね。

「りーんくん。」
「んー?」
「おなかすいた。」
「何が食べたい?」
「焼肉。」
「あ?」
「うそ、何でもいい。」
「おかゆは?」
「やだ。」
「なんだよ、じゃあ雑炊?」
「うーん…。」
「パイナップルも付けてやるから文句言わずに食えよ。」
「うん。」

キッチンに向かった凛くんが、手際良く料理をこなしていく。
凛くんてば、なんでこんなにも男前なんだろう。
本当に、何から何まで出来ちゃうから、俺はいつも凛くんのお世話になってばかりだ。
なんだか情けない気分になっている所に、凛くんが出来たてのおかゆを運んできてくれた。
お粥は全然好きじゃないけれど、胃の中はほぼ空っぽ状態で、食べ物を見た瞬間から口に唾液がどんどんたまっていくのが分かる。

「ん、熱いから冷ましてやる。」
「へへっ、あーん。」
「なにがあーんだ、自分で食えっ。」
「えー、ケチ。」
「ケチってよぉ…。」
「まあいいや、いただきまーす。」
「めしあがれ。」
「…ん、ウマッ。」
「そうか?それは良かったです。」
「ご飯、おいしい。」
「うん、それだけ食欲あんなら大丈夫そうだなー。」
「へへっ、パイナップルも食べるからね。」
「おう。」





「でも、やっぱ風邪って嫌だなー。」
「そりゃあな。」
「辛いし、動けないし、好きなもの食べれないし。」
「うん。」
「それにさー、一緒の家に住んでるのに凛くんとちゅーも出来ない。」
「…すればいいじゃん。」
「え?」
「そんくらいすればいいだろ…ほら。」

そう言いながら、凛くんはマスクをずらしてベッドに横になる俺の顔を上から覗き込んでくる。
そりゃあ…したいけど、凛くんとちゅーとか色々したいけど、でも絶対に風邪はうつしたくないから。
だから我慢してんのに、そんな事しちゃったら意味ないじゃん。

「っ…、ダメ!ダメダメ!絶対うつしたくないもん。」
「ふーん、俺は別にうつされてもいいんだけどな。どうせ看病すんの裕次郎だし。」

凛くんはそう言ってマスクを元の位置にずらすと、俺の髪を撫でつけながらマスク越しにキスをくれた。

「我慢すんのは身体に良くないからなぁー、俺の為にもちゃんと寝て体力つくって早く風邪直せよー。」

なんだかそんな言い方をされると無性に恥ずかしく感じてきて、小さくうん、と返事を返すことしか出来ない。
俺はマスク越しで、ましてや風邪を引いているのだから分かりもしないだろうに、赤くなっているだろう頬を隠す為に布団を深く被り直した。





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