『あっ、ぁ、……はぁっ、はっ、ぁ…―ひ、ろしっ―…』


あの時の凛くんのハッとした表情を思い出して、俺はまた、寝付けなくなった。


おとといの夜のことだけど


それは二日前の夜の事だった。
金曜日の、丁度今くらいの時間だったと思う。
携帯に着信が入って出てみたら凛くんで、こんな時間にどうしたのって聞いたら、眠れないっていうからそれなら家においでよって言った。
言った後に時計を確認すれば針は深夜に近い辺りを指していて、だから俺は慌ててさっきの提案を無かった事にしようとしたけれど、
俺がそうするよりも先に凛くんが『すぐ行く』って言ったから、俺は分かったって返事をして電話を切った。
それからそう時間も経たない内、凛くんは本当に家にやって来た。
あまり人様の家を訪ねる様な時間じゃなかったからか、凛くんは唯一1階にある俺の部屋の窓をトントンと叩いてそこから入って来た。
俺はとりあえず凛くんを部屋へ上げて、世間話でもしながら凛くんが眠くなるのを待とうとした。
けれど気なんか使わなくて良いと言うのに、わざわざ凛くんが持って来てくれた手土産のお菓子といくらかのお酒を貰っている内に
酔いが回ってしまった様で、俺達は雰囲気に任せてセックスをした。
それはふたりの間では初めての行為で。だからいざ始めるとなると、俺の方は緊張ですっかり酔いが醒めてしまっていた。
凛くんの方はそうでもなかった様で、だからこそいつもは何かにつけてはぐらかされていたこの行為を、その日に限っては断られることなく行う事が出来たんだと思う。

「はぁっ、はっ、…ぁ、あっ…、はっ、はっ、…んっ…」
「はっ、…はっ、…はっ…」

会話も何もなく、部屋にはただ、ふたり分の荒い息遣いと凛くんの微かな喘ぎだけが響いていた。
こんな行為では俺の気持ちなんて一つも伝わらないって事はちゃんと分かっていたのに、
どうしても何か行動に移す事は出来なくて、それでも繋がって居たかった。
あの時の俺は只、凛くんの名前を呼ぶだけで、髪を撫でるだけで、
白くなるほどきつくシーツを握る震えた手を取るだけで良かったはずなのにと、思い返すだけでたまらなく不甲斐ない気持ちになる。

「あっ、ぁ、……はぁっ、はっ、ぁ…―ひ、ろしっ―…」

だからあの時、凛くんが俺じゃない誰かの名前を呼んでしまった時、本当は心のどこかで覚悟していたのかも知れない。
とはいえ俺にとってそれは、やはりショック以外の何物でも無くて、全身が凍りついたように動かなくなった。

「…わ、っさん……。」

そんな俺の様子から、自分が声に出して“彼”の名前を呼んでしまったのだと気付いた凛くんは、
ハッとした表情を見せてからするりとベッドを抜け出し、素早く衣類を身に着けて来た時同様窓から足早に出て行ってしまった。
それから暫く、漸く強張った全身の力は抜けて、けれど動かすことは出来ずにそのままだらりと倒れ込むようにしてベッドに沈み込めば、枕から凛くんの匂いがして涙が出た。


―…わ、っさん……―


あんな顔、させたかった訳じゃないのに。
凛くんは寛の事が好きなんだって、そんな事は最初から分かってたのに。
謝りたいのは、俺。
凛くんの心の整理が付いていない内に、無理やりこっちに振り向かせようとしてた俺が悪い。
無理させて、ごめんね。





〜♪〜

「…もしもし?」
『……………裕次郎。』
「どうしたの、凛くん。」
『裕次郎…寝てた、か?』
「ううん、まだだよ。」
『そうか、………もう寝んのか?』
「うーん…もうちょっと起きてるかな、なんか寝付けなくて。」
『そ、か…。』
「で、どうかした?」
『あぁ…その、やーと話がしたくて………ちゃんと、会って。』
「…。」
『い、嫌なら別に良い。もう遅いし来れなかったら来なくてもゆたさんど。…やしが、待ってるから、海で。』
「えっ…。」

―プツッ―

何を言う間も無く切られた携帯電話から、通話が途切れた事を知らせる機械音だけがなり続ける。
おとといの夜からメールすら寄こさなかった凛くんからの突然の呼び出しに、動揺したのもあって暫く呆然と手の中のモニタを眺めてしまっていた。
ハッと気付いて立ち上がると、身なりを整えるなんてことは頭の隅にも置かずに慌てて家を飛び出す。
間逆の位置にある俺達の家から海まで歩いて30分、自転車で行けば10分。
必死にペダルを漕ぐ10分の間に、俺の中には色々な感情がぐるぐると巡っていた。

「こないだのこと、じゅんにわっさんわんしに最悪だった。」

あんなに必死に自転車を漕いで来たはずなのに、砂浜にはすでに凛くんの姿があった。
そこで初めて電話をくれた時にはもう、凛くんが海に居たのだという事に気が付く。
息を切らして走り寄る俺を見て、凛くんが安心した様な表情を見せた。
けれど近寄ってみると、とたんに暗い顔になって凛くんが切り出した話はやはり一昨日の事について。
もちろんそれ以外の話が出る可能性なんてものはこれっぽっちも考えていなかった俺は、けれど開口一番に謝られるとどう反応して良いのか迷った。
そうして黙りこむ俺に、凛くんは沈黙に耐えきれないと言う様に再び口を開きかける。
どうせこのまま彼が何かを言ったところで自分を責める言葉しか聞けないのだから、その先を言わせる訳にはいかない。
俺は凛くんの背中を軽くトントンと叩き、困った様な顔になってしまっている自覚はあったけれど、精一杯の笑顔を向けてやった。
それでも凛くんは、泣きながらもう一度ごめんって言った。
あぁ、ついに泣かせてしまったと、そのごめんには一体どれだけの意味が込められているんだろうと考えると、どうしても胸が痛む。

「わっさん裕次郎…、わんやっぱり、まだ寛がしちゅんやっさ…。」
「…うん。」
「それなのに、裕次郎と付き合うとか…じゅんに、わっさん。」
「…。」
「あの時本当は、断るべきだったはずなのに…やしがわんは、裕次郎なら好きになれるかもって思ったんばぁ。」
「…。」
「それは、なまわんが裕次郎のこと好きじゃないって意味やあらんどー。」
「うん。」
「そうじゃなくて、裕次郎のこと好きだけど、…寛よりももっと好きになれるかもって思った。」
「…。」
「それなのに、最悪やっさ…わん、最低だ…自分の気持ちに区切りを付けるために、裕次郎を利用するみたいなこと…。」
「やしがそれは、わんが言い出したこと」
「それでも結果的にわんが裕次郎のことを傷付けたあんにっ!そんでわんはまだ、寛のこと好きなまんまやし…。」
「…。」
「わっさん、…自分でも何でか分からないけど、寛が好きなんばぁ。」
「…うん。」
「最初は声を掛ければすぐに振り向く周りに飽きてて、でも寛だけは違って、そういうとこに興味持っただけだった。
そりゃあ男同士だし、昔からずっと一緒に居たんだから意識され無くて当たり前やしが、でも、わんが何しても、なに言っても、
寛の世界がわん中心になる事は無くて、それが面白かった。絶対に振り向かない相手を追いかけてる時間が、なんか知んねーけど、でーじ楽しかった。」
「うん。」
「やしが気が付いたらいつの間にか好きになってて。」
「うん。」
「一日中寛のこと考えて過ごしてんじゃないかってくらいずっと寛のことばっか思ってて。」
「うん。」
「全部好きで、寛の全部が、大好きで。」
「うん。」
「最初は絶対にこっちに振り向かないところが良かったのに、気が付いたらそれが辛くなってた。
そんで、裕次郎はそれを知ってて、それでもわんが良いって言ってくれたから、…だからってわんはそれを断るべきだったのかもしれないけど、
でも苦しくて、それに気が付いて側に居てくれた裕次郎なら、好きになれるって思った。」
「…。」
「その裕次郎をわんは結局傷付けて、自分でも自分が何をしたかったんだか分かんなくなって、嫌になって、
裕次郎もわんなんかと話したくないかもって思ったけど、でもやーには謝っときたかった。それからわんの気持ち聞いて欲しくて、こんな夜遅くに呼び出した。」
「…そっか。」
「じゅんに、何から謝って良いのか分からんしが、ごめんな。」
「ううん。」
「ごめん。」
「凛くん謝りすぎやっさぁ。」
「…。」
「本当はわん、凛くんに会ったらすぐに謝ろうってずっと考えてた。…なま凛くんが言ったことむるとは言わねーらんしが、大体は分かってるつもりだったのに、
それでも凛くんが良いって我侭あびたのはわんの方やくとぅ。あれはわんが凛くんの気持ちを少しでも軽くしてやるんだって自己満足な気持ちと、自分が凛くんの側に居たいってだけの我儘だった。」
「…。」
「で、結局凛くんは前より悩んでる。わんっていう問題が一個増えちゃった所為でね。」
「それはっ…。」
「その事については謝る…本当にごめんね。それから、わんは凛くんに対してひとつも怒りを感じてないから謝らないで、悩まないで下さい…。」
「…。」
「わんは凛くんが安心して笑ったり泣いたり出来る場所になれればそれで良いと思う。
やくとぅ、こんな事があったからって気にしないで前みたいに笑って欲しいし、何かあったら思いっきりわんの前で泣けばゆたさっさー。」
「…。」
「わんは寛の事が好きな凛くんでも良いんどー、やしが凛くんはそんな中途半端な気持ちでわんに接するのは嫌だって言うあんに?」
「…。」
「だから気持ちに整理が付いたら教えて。」
「…うん。」
「…いつでも、待ってる。」

どんなことがあろうと、傍には俺が居るという事を支えにして欲しい。
今の一言に込めた想いが、凛くんの負担にならない形で届けばいいのだけれど。



―にふぇーでーびる―



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「ゆ・う・じ・ろぉー。」
「おぉ、どうしたの?」
「教室んかい行ったら、裕次郎が居なかったから探しに来た。」
「そっか、やしが次の授業は選択Cあんに?」
「うん。」
「行かなくて良いばぁー?唯一寛と一緒の授業なのに。」
「んー、わん寛に『イキガには興味無い。』とか良い声で思いっきり、さっぱりきっぱり言われたからやぁ…、いい加減諦めんと。」
「そっか、そうだったね。」
「しかも選択Cとか、英語どー?全然ついてけねーし、寛見てるしかやることねーらん。折角諦めついたところに、あれはキツイ。」
「ははっ。」
「それにやーが居ればマシかもしれんしが、やーの出席率…半分も行かんし。」
「あぁ―…まぁ、その理由は分かるあんに、凛くんと同じような理由さぁ。」
「んー…。」
「わんだって英語なんて嫌いやし、それに好きな人が好きな人のことをずっと見てるのをずっと見てるしかない授業とか、行く意味が分からん。」
「くくっ、確かにやぁ。」
「なんかすっごい…、こう…、やさぐれた気持ちになる。」
「ぷっ、聞いてるだけでなんか空しいど、それは。」
「うん、そう言う訳でわんは滅多に選択Cの授業には顔出さないんさ。」
「やしが全然授業出ないと反省文書かされるやぁ?」
「あぁー、確かにそんなこともあったねぇ。わんの場合、正直に全部書いたらそれ以来ぱったりなんも言われなくなった…くくっ。」
「…正直にってどんな?」
「え、普通に“好きな人が好きな人の事を見つめているのを見ているのは辛いです”って。」
「はぁ!?なんやっしそれ、そんなん有りかよ…。」
「まぁ、良いあんに…わんはこの時間、昼寝して体力補給に努めることに決めているのであります。」
「…。」
「じゃ、そういうことで…おやすみ。」
「…お、やすみ。」
「…。」
「あ、ちょっと聞いて。」
「…んー?」
「わん、裕次郎のことしちゅんど…寛よりも。」





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