「凛、どっか行くば?」
「あ?おー・・・、ちょっと。」
「まーた新しい子掴まえたばぁ?」
「・・・あらん、前のほら、あそこで働いてる・・・駅前の。」
「んー・・・?あー、あの子ね。」
「ん。」
「やーもよく飽きないよなぁ。」
「まぁ、・・・飽きてない事もないけど。」
「ふーん。」
「じゃあ、行ってきます。」
「ん。」
出かけ際、背中で聞いた“可哀想な奴”という裕次郎の言葉。
俺には聞こえていないつもりで溢した言葉だろうから、あれがきっと奴の本心。
確かに馬鹿げたことをしている自覚はある。
誰かに愛して欲しければ、まずは自分から。
そう思っての行動だけれど、気持ちの無い愛の言葉や行為には、同じく気持ちの無い返答が返ってくるもの。
そんなことにさえ気付けない奴が居るとしたら、そいつはもう本当の馬鹿だとしか言いようがないけれど、
でもそれに気付きながら終わらせることの出来ない俺も同じく、もしくはそれ以上に馬鹿なのかもしれない。
行き過ぎた馬鹿は、哀れみの対象になる。
そう言った意味での評価が、あの“可哀想な奴”という裕次郎の言葉に繋がったのだろう。
その棘に傷つかない方法
「さみ・・・。」
日中はあんなにも日差しが強くて蒸し暑いのに、それが夜になるとめっきりと冷え込む。
寒さは一番に俺を人恋しくさせる。
誰でもいいからそばに居て欲しいと、そんな馬鹿げた考えだけを増発さてゆく。
缶コーヒーを1本買って、コンビニを出る。
店先で気付いてすぐに引き返すと、同じようにレジでミルクティーを買った。
駅へ向かう途中、ケータイを開けばメールが数件。
これから会う予定の女からは、着信が来ていた。
「もしもしー?さっき電話くれた?」
『あー、凛ちゃん?今何処にいるー?』
「んー?もうちょいで駅着くよ。」
『えー、マジでー?ごめーん、今日会うの無理になっちゃったの。』
「は?」
『なんかぁ、夜入る予定だった子が風邪でお休みしちゃってー・・・、代わりに私が入んなきゃだからぁ、ごめんね。』
「あー、マジか。」
『ホントごめん!折角駅まで来てくれてるのに・・・また違う日に会お?ね?』
「んー、いい。」
『えー?』
「別にいいよ、気にしない。・・・あと、やーとはもう会わん。」
『えっ?えっ?何?どーしたっ―――・・・。』
「つーかイキガの声、聞こえてるやっし。」
別にいつも自分が相手にとっての一番でなければ気が済まないということはない。
自分が相手に与えないものを相手にだけ求めるのはあまりにも不躾で、我侭な行いだと思うから。
でも俺は、少なくとも他人に軽々しく嘘を吐いたりなんてしない。
しばらく女からの着信やメールが煩く鳴っていたけれど、着信拒否に設定するとそれもピタリと止んだ。
呆気ない、本当に。
―メモリー削除1件―
決定ボタンを押すと、すぐに違う誰かから着信が入った。
でもなんとなく、今は出る気がしない。
俺はポケットに入っていたミルクティーをそのままゴミ箱へ放り、コンビニで新しく買い直したミルクティーをその手に持ちながら、来た道を家へと引き返した。
「ただいま。」
「あれ、でーじ早かったやぁ、忘れ物?」
「あらん、別れてきた。」
「え?」
「駅前のイナグ、別れたから予定なくなった。」
「またぁ?今回も早かったやぁ。」
「まぁ、好きじゃなかったから。」
「・・・。」
「いや、でも、まぁ、やーとは・・・、まあいいや、これやるさぁ。」
「なに?」
「ミルクティー。嫌いじゃないばぁ?」
「うん、まぁ。」
「ん、だからあげる。」
「…もしかしてイナグにあげる予定だったやつ?」
「そうだとしてもやーは気にしないあんに?」
「まぁ、ね。」
俺がテーブルに置いた缶を手に取って、裕次郎がふっと笑った。
まだあったかいね、と呟いたその声に返事をしなかったのは、その声が独り言だとわかるくらいに小さかったから。
ミルクティーが冷めずに裕次郎の手に渡った本当の理由、それに気付いてくれていればいいと、小さく祈ってみたりした。
「裕次郎、飲まねー?」
「えー、いいけど。」
「ん、じゃあ買ってくるさ、裕次郎なんが良い?」
「えー?てかあるよ、酒ならいっぱい。」
「マジか。」
「うん、なんか泡盛こっちで買うと高いって言ったらいっぱい送ってきた。」
「おー、ラッキー。」
「待って、今持ってくるから。」
「うん。」
裕次郎とルームシェアを始めたのはそう最近のことではない。
だからもちろん、俺のこのどうしようもない性格をわかった上で一緒にいてくれている。
でも、本当の意味では俺を理解しようだなんて思っていない。
それはそうだ、誰が節操なしの浮気性、男女問わず来る者拒まずの好き勝手やってるクズ男のことなんか理解しようというのか。
本当に必要なものにも気付けなかった、バカな男のことなんか。
「凛、グラス。」
「ん?あー。」
「…っ、待って、危ないよっ!」
「え?」
「ちょ、凛くんっ…―――!」
気が付くと、ぼんやりと食器棚に手を伸ばす俺のすぐ隣まで来ていた裕次郎が、落下寸前のグラスを手に怒ったような顔をしていた。
「気を付けてよ、危ないじゃん…。」
「わ、っさん。」
「もういいや、凛はそこ座ってて。」
「ん。」
心配すんじゃん、と小さく呟かれた言葉は、どうやらまた独り言のつもりらしい。
それに気付かない振りをするのがいつもの俺で、そして今の俺だった。
裕次郎の優しさにはいつも棘がある。
それに触れたいくせに自ら手を伸ばすことが出来ないのは、俺が臆病者だから。
一番欲しい何かを手に入れるにはそれなりの代償があることを知っているから、だから臆病になるんだ。
*
「裕次郎…。」
「ん?」
「ス。」
「キ?」
「うん、そう…好き。」
「…ははっ。」
「キス、しよう。」
「…いいよ。」
こんな風に、酒が回っていることが簡単に分かってしまう。
それくらいにあっさりと、俺に気を許しすぎるのが裕次郎。
それを知っていて、利用してしまうのが俺。
この間に俺が飲んだ酒は一番度数の低いものをグラスの半分だけ。
本当に、自己嫌悪に陥るくらい卑怯なやり方だと思う。
でも俺はこんな風にしか、その肌に触れる術を知らない。
「んっ、…ふ、」
「はぁっ、…裕、次郎…。」
「んっ、凛くん…、ダ、メ…だよ。」
「…。」
「えっちは、しない。」
「…なんで?」
「なんでも。」
「いいじゃん。」
「イヤ。」
「・・・裕次郎は、俺んこと嫌いなの?」
「嫌いじゃないよ。」
「じゃあ、なんでだよ。」
「・・・誰でも良いは、嫌だから。」
「・・・え?」
「誰か他の人のことを、一瞬でも想いながらされるのは、困る。」
「…。」
「泣きそうになるから…、昔みたいな、あんな…あんな悲しい思いをするのは嫌だ、よ。」
「…。」
昔というのはあの頃の、俺達が一度だけ付き合っていた頃の話だろうか。
俺がまだ、今よりももっともっと大馬鹿者で、本当に欲しいものとそうじゃないものの区別さえももつかなかったあの頃。
裕次郎はたった一人、俺に選択を迫った男だった。
自分一人かその他大勢のどちらかひとつ。
他の誰かを思うなら、自分とはきっぱり別れてほしい。
そんな風に、簡単に解ける難題を俺に突き付けた。
そして大馬鹿者だった俺は、大切なことに気付けなかった俺は、大切なひとりを諦めて、その他大勢を選んでしまった。
正確に言えばどちらも選べなかったのだ。
その結果俺に残ったのはその他大勢の方だった。
「わんは、一番じゃなくちゃ…そうじゃなくちゃ嫌だよ。」
「…。」
「でも、凛くんの一番はわんじゃないでしょう?だから、ダメ。」
「………。」
自分が相手に与えないものを相手にだけ求めるのはあまりに不躾で、我儘な行いだと思うけど、でも。
もしも裕次郎の望む俺の一番をそのまま与えることが出来るとしたら、俺は同じことを、裕次郎に求めてもいいのかな。
裕次郎の1番にしてくれと、今更願ってもいいのかな。
本当はずっと、俺には裕次郎しか必要じゃなかった。
それに気付いたのはたった今なんかじゃない、もっとずっと前から、とっくに分かってたことだった。
これは嘘じゃない、取って付けた訳でもない、本当の、本当の話。
「んんっ、り…くんっ、やだっ、…ねぇ、やだ!」
「…っ……、…はっ…。」
「やぁ、だ!離せ、ふらー、のーぱー…、もうっ、殴るよ!」
「それは、困る…。」
「じゃあ離して。」
「それも、嫌だ。」
「…な、んで…、こんなの、わんだって困るよ。」
「好き、だから…裕次郎とこういうことしたい、止まんない。」
「・・・ホント最低だよ、凛くんはいつも口先だけそうやって。」
「嘘じゃない、本当に好きだよ、大好き。」
「…。」
「一番好き、愛してる。」
「う、そ…つき。」
「俺、本当に裕次郎が好きなんだよ、一番に好き…二番目も三番目も居ない、裕次郎だけが好きだよ…、どうしたら信じてくれる?」
「・・・しん、じないよ…信じてなんかあげない。」
「っ…。」
「だって明日になれば凛くん、同じこと別の誰かに言ってるんでしょう、別の誰かのところへ平気な顔して行っちゃうんでしょう、
…そんな人の言うことなんか、信じられる訳ないじゃん。」
「…行かない、裕次郎にしかこんなこと言わない。俺嘘は言ってないよ、ホントだよ。」
その時ソファに押し倒した裕次郎の視線が、テーブルで光る俺の携帯へと移動するのを見た。
代わる代わる何色にも光るそれを見て、裕次郎の目が冷めて悲しい色になった。
そんなことで、悲しくなんてならないでほしい。
携帯一つで繋がっているだけの誰かと裕次郎を天秤にかける事なんて、間違っても今の俺はしないから。
俺はソファから起き上がると、テーブルに並んだ2つのグラスに並々と酒を注いだ。
その内の一つを手に取り一気に飲み下す。
もう一つには躊躇いを捨て、忙しなく光る携帯を放り込んだ。
ポチャリと全てが静かに終わる音がして、グラスに収まりきらなくなった酒がポロポロと零れテーブルを濡らしていく。
それを見ていた裕次郎が、声を殺して泣いた。
「裕次郎、酔っぱらいは嘘はつけねーらんよ。」
「…うん。」
「裕次郎、わんは裕次郎がしちゅんど、じゅんに…いっぺーしちゅん。」
「うん。」
「かなさんど…じゅんに、ゆくしやあらん・・・・・・・・・わん、やーが好きだ・・・信じて、信じて下さい…。」
「…。」
「…お願、っん、…ふ、…裕次郎?」
「…っふ、…。」
「ゆ、じろう…。」
「……もう一回だけ、なら・・・信じてあげる。」
「っ…、裕次郎…。」
* * *
朝になって目が冷めたとき、裕次郎は小さく、夢じゃなかったって呟いた。
それが独り言ではないことに気が付いたのは、グラスに沈んだ俺のケータイと俺の目を、順番に見た裕次郎が笑いながら泣いたから。
裕次郎に一番を求めたのは俺だから、俺も俺自身の一番を裕次郎に与える覚悟がある。
少なくとも今の俺は、酔っているからといって軽々しく嘘をついたりなんてしない。
ましてや裕次郎に嘘なんか。
自ずと伸びて行ったこの手が、指が、裕次郎の濡れた瞼を拭う。
触れたいと願ったその場その時に、何の抵抗も戸惑いもなくふたつの唇が重なった。
そうして俺は、誰も傷つけず傷つかず、その肌に触れる術を知った。