「ちねー、ん……。」

『でも私、ナマコが動いてる所見たこと無いなぁ…、あんなにのんびりしてて、敵に襲われたらどうするの?』
『ナマコの中には、キュビエ器官という白い線状の組織を持っている奴らが居るんさぁ。
敵に襲われたら、それを相手に張り付けて身動きを取れなくする…あとは、内蔵を吐きだして敵を怯ませたりもするんどー。』
『えぇっ!?内蔵を?そんなの吐きだしても平気なの?』
『ナマコは再生力が強いやくとぅ、内臓は一ヶ月もすれば再生される。』
『へぇ、なんかすごいね。』

国語辞典は持っているけれど、ねーねーのお下がりで古いのが気に入らない。
そんな理由を故事付けて、毎回知念の教室まで借りに行くことが日課になっている。
今日もいつもの様に辞典を借り、それを返す為に6組の教室までやって来た。
普段ならここで優しい顔をした知念が教室の入り口まで辞典を取りに来てくれる。
それは俺がこうして何度もここへ来てしまう本当の理由。
けれど、今日に限ってはその目的が果たされそうもない。
知念はこちらへ向かって来るどころか、俺の存在にも気付かずクラスの女子と話し込んでいるし。
相手の子は、人懐っこい笑顔を浮かべて楽しそうにしている。
ナマコの話なんかされても大して面白くも無いだろうに、
うんうんって真面目に話を聞いている所をみると、あの子は知念の事が好きなんだろうなって事はすぐに分かった。
心なしか知念もイキイキしているようにも見えるし、もしかして知念もあの子のことが好きだったりするのかな。
ま、まぁ…どちらにせよ俺には何の関係も無いんだけど。
そう思いつつも、そんなふたりの様子を見ているのが嫌で、黙って辞典を寛のロッカーに戻すと足早に教室へ戻って来てしまった。
なんでだろうな、自分でも良く分からない。
別に良いだろう、知念に…好きな奴が出来るくらい。


それは恋です。


屋上に出て、壁に掛かる梯子を登りきった場所。
俺達男子テニス部レギュラーの中では、特に様が無い限りはそこで集まって弁当を食べる事が自然と定着している。
憎たらしい事に今は彼女持ちの不知火と、2年の新垣はなかなかここへはやってこない。
それから、永四郎も忙しい奴だからよく居なくなったり突然現れたりする。
だから常にここへ集まるメンバーと言えば、俺と、裕次郎と、慧君と、あとは知念くらいか。
4時間目の授業が終わって裕次郎と一緒に来てみれば、今日は早めに着いていたらしい永四郎と慧君に迎えられた。

「あれぇ、寛は?今日はまだ来てないばぁ?」
「そうですね、まだ見ていませんね。」
「ふーん…珍しいね、寛が最後に来るなんて。」
だーるなぁ、実験室にでも居るんかやぁ。」
「あぁ…、その可能性もあり得ますね。」

―ガチャッ―

『あ、知念くん。』
『…亜月さん。』

「あ、寛来たっぽいねぇー。」
「そうですね。」
「…あーっ!いなぐと話してるーっ!」

知念のクラスの奴らの事は良く知らないけれど、あの声は、さっき教室で楽しそうに話していた子の声だとすぐに分かった。
屋上へは一緒に来た訳ではなさそうだから、ここへは上がって来ると思うんだけど。

『ふふっ、今日も皆で上でご飯食べるの?』
『うん、まぁ…。』
『そっかー。』
『亜月さんは?ひとり?』
『うん、そうなの。私は屋上でお弁当食べるの好きだけど、皆は日焼けが気になるから来たくないんだって。
だから、今度知念くんが皆と約束してない時、一緒にお弁当食べれたら良いな。』
『………まじゅん、食べるか?』
『え?』
『いつも別に、約束して集まってる訳じゃない…やくとぅ今日亜月さんが一人なら、まじゅんお昼食べたらどうかと思って。』
『いいの?』
『うん。』
『ホント?うれしいな、ありがとう。』

そんな会話が聞こえてきた途端、なんだかすごく、面白くない気持ちになった。
裕次郎が興味津々に下の様子を眺めていて、それさえも何処か煩わしい。

「あの様子じゃ寛今日は来ないねぇ。」
「そうですね。」
「…寛今日は唐揚げだってあびてたから楽しみにしてたのに。」
「なに慧くん人の弁当狙ってんだしよ。」
「…いいばぁ。」
「…。」
「なんか凛くんが怖いオーラ出してるんやしが…。」
「はぁ?何が…。」
「あー、分かった。ヤキモチ妬いてるんでしょ、寛取られちゃったから。」
「…ち、ちげーよ、バーカ。」
「あははっ…『ち、ちげーよ。』だって…でーじどもってた!何それ、しんけん嫉妬してたみたい…くっくっく、凛くんかわいー。」
「…っ。」
「甲斐クン。」
「だって、うじらーさんあんにー。」
「…っ、しんけんウザい。」
「ほらー、やーの所為で平古場どっか行っちゃうあんにー、さんけー裕次郎。」
「わー、わっさんって、わっさん、もうしないからわじんないで。」
「出て行くことは無いでしょう、俺達と一緒にお昼食べましょう。」
「…。」
「ほら、特別にわんのパイナップル分けてあげるから。」
「いらねー。」
「えー、おいしいのに。」
「ならわんが貰う。」
「え、良いよ、はい…あーん。」

どうでも良いけれど、知念が話している相手の女がハキハキとしゃべる所為か、さっきから下のふたりの会話がよく耳に入って来る。
楽しそうな笑い声が聞こえてくるたびに何故だか胸が締め付けられる思いがして、はっきり言って気分は最悪だった。

「そういえば、寛最近あの子とよく一緒に居るよね。」
「あぁ、だーるなぁ。」
「あの子絶対寛のこと好きだばぁ…あのふたり、付き合ったりしないのかやぁ。」
「知念クン、告白されれば断ったりはしないでしょうね。」
「んー、寛って自分からは告白しないもんね。」
「そのわりにいなぐ出来ること多いよなぁ、全然続かんやしが。」
「そうですね、確かに知念クンの彼女になる人って、自分から告白する癖にすぐに彼の事を振りますからね。…そこが不思議でなりませんけど。」
「その気にさせるだけさせて振るなんて、一番最悪なパターンさぁ…、わんはごめんだな。」
「でもなんで寛がすぐ振られるのか知ってる?」
「…知らん。」
「俺も知りませんね。」
「わん、前に聞いた事あんだけど、」

“なんかね、寛がすぐに凛くんの話ばっかするかららしいよ。”

裕次郎のその言葉に反応して、思わずピクリと身体が動いてしまった。
黙って皆の会話を聞きながらなんでもない風を装っていただけに、それが尚更恥ずかしい。
ゆっくり顔を上げれば、案の定裕次郎が二ヤ二ヤした顔でこちらを見ていた。

「なんか寛がさぁ、すぐ凛くんの話ばっかりするから相手の子が凛くんのこと好きになっちゃったりするんだって。」
「それは…なんだか痛ましいですね。」
だーる…、まさかそんな理由とはな。」
「あとさ、あまりに寛が凛くんの話ばっかりするから、女の子の方ももしかして寛が凛くんのこと好きなんじゃないかとか考えちゃう事もあるんだって、
それで前に付き合ってた子が“私と平古場くんどっちが大事なの”みたいなベタな事聞いたら、寛あっさり凛くんって答えたらしいよ。」
ふらーやっさ、寛も。」
「ねー、そりゃあ付き合ったばっかのいなぐより、ずっと前から一緒だった凛くんの方が大事なのは分かるよ、
やしがそこはお世辞でも『や―の方が大事に決まってる。』くらい言ってやる所あんに。」
「まぁ、知念クンは嘘がつけない性格をしていますから…。」
「損な奴。」
「もう寛、凛くんしか振られないで付き合える人居ないじゃん。」
「ぷっ、確かにやぁ…。」
「いなぐと付き合った時凛くんの話しちゃうなら、凛くんと付き合った時誰の話すんだろ?今度は逆に今まで付き合ったいなぐの話とかしだしたりしてなぁ…あははっ。」
「っ…。」
「甲斐クン、人をからかうのもその辺にしておきなさい。」
「あぁ…、はーい。」
「でも、告白されたら断らないということは、良く知らない人でも付き合ってしまうという訳ですよね。
だったら共通の話題が見つからなくて、平古場クンの話ばかりになってしまうのではないですか。」
「あー、そうかも。」
「でも下の彼女、楽しそうにしていますし…今回はもしかすると今までの様にはならないかもしれませんね。」
「んー、ナマコの触手の話とか食事中にされて平気なくらいだから、そこんとこもクリア出来るかもね。」
「そもそもナマコの話ずっとしてるのに親身になって聞いてくれるんだから、平古場の話題も出す必要ねーらんさに。」
「そうですね、今回は上手く行くと良いね。」
「うん…ってか待って、良く見たらあの子でーじ可愛いっ!ナマコの話題で大丈夫なんだったらわんの方がもっと楽しい話できるのに!寛ずるい!」
「うるさいね、だからって邪魔はしないことだよ。」
「ぶー、分かってるもーんっ。」

なんか知らないけど、心臓がバクバクした。

教室に戻って弁当箱を片付けていたら、廊下に誰かの気配を感じて顔を上げる。
すると丁度知念が階段の方から歩いてくる所で、俺は反射的に確認してしまった“知念の隣”に誰も居なかった事に、何故だか酷く安堵した。
それ以前に、これだけ大人数の生徒が行き交う廊下で、どうして知念の事はすぐに見つけられるんだろう。
そんな事を考えていると、知念が2組の教室を通り過ぎる瞬間、あの子が廊下に歩いて来たのが見えて、俺は咄嗟に知念の事を呼び止めてしまった。

「ち、知念っ…。」
「ん?…あぁ、凛か…なに?」
「おぅ…、あの、さ…、今日まじゅん帰ろう。」
「…ん?うん。」
「…。」
「…そんなのは約束しなくても、いつもまじゅん帰ってるあんに。」
「…そうやしが。」

でも、弁当一緒に食うのだって、別に約束してなかっただろ。
約束してなかったから、今日一緒に食べれなかった。

「ん?…まぁいいか。」
「…。」
「あ、そう言えばさっき、辞典届けに来てくれてたの気付かなくてわっさんやぁ、次の授業国語だったからちゃんとすぐに返してくれて助かった、にふぇー。

そう言ってあの優しい顔を浮かべる知念。
…不意打ちは、卑怯だ。





「それで、そのサポニンは高麗人参なんかにも多く含まれていて、だからナマコは中国で海の人参という意味の海参と呼ばれているんばぁ。」
「へぇ、そんなに凄いんだな、なまこ。」
「うん、ナマコは漢方薬としても滋養強壮薬や皮膚病薬に役立つとされているんどー。」

帰り道、約束通り知念と一緒に家路を辿る。
知念が道中イキイキとした顔で話しているのは、やっぱりなまこの話。
…なまこには、別段興味は無い。
けれどさほど興味のない内容でも、知念が楽しそうに話す言葉にうんうんって相槌を打ちながら真面目に聞いている自分に気が付いて、
それが今朝の彼女の様だと、ふとそんな事を思った。
……………………ちょっと待て、今朝の、あの子の様だって?
そんな風に思った自分にハッとして、それから酷く、動揺した。
だって、だって…あの時、あの子の事を見て俺はどんな風に思ったんだっけ。
“知念の事好きなんだなぁ”って、思ったんだよ。
それも、“すぐに”分かったんだった。
それくらい、あの子は分かりやすく知念の事が好きだった。
そんなあの子の様だって、今自分で思ったのか?
そんなはず………。
どうしよう…、そんなはず無いと言い切れない。
だって、どうしてあの子が知念の事好きだってすぐに分かったんだろう。
どうしてあの子が知念の事好きだって気が付いた時、喜んであげられなかったんだろう。
どうしてあの子が知念と居ると、モヤモヤした気分になるんだろう。
知念があの子と楽しそうに笑う時、皆が知念とあの子の話をする時、少し胸がチクチクする。
自分がわがままな子供になったみたいに、嫌な感情がぐるぐると廻る。
でも知念が俺に笑ってくれる時、誰かが知念と俺の話をする時、すごく胸がドキドキする。
好きな人と…居る時みたいな、そんな温かい気持ちに包まれる。

俺は…知念が、好きなの?

これは、大変な事に気が付いてしまったかも知れない。

「…りん、…凛?」
「え?…あ、うん、わ、わっさん…何?」
「あの、もう凛の家についたから…。」
「あ、あぁー、そうだな、ホントだ、ボーっとしてた。」
「ん、じゃあ…明日な、…疲れてるならゆっくり休めよ。」
「おう、サンキュ、…明日な。」

そう言って、小さくなっていく背中を見つめる。
あ、…そう言えば、明日って部活オフだったような。
知念、間違えただけかな…でも、

「あ、ちょっと待って知念っ!」
「…んーっ?」
「明日、部活休みやんどー!」
「んーっ、知ってるーっ。」

そっか、知ってたか。
やっぱりちょっと、間違えただけだな。
くるりと再び背中を向けて歩き出した知念。
段々と小さくなっていくその背中を、今度は黙って見送った。



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