永四郎から電話があったのは、夜の9時を過ぎた頃だった。
裕次郎がまだ帰っていないらしく、最後に一緒に居た俺に心当たりを聞こうと電話をかけて寄越したそうだ。
いつもの分かれ道で別れた後の事は知らないが、俺の言った言葉で裕次郎を悩ませてしまったのかもれない。
そう思うと居ても経ってもいられず、受話器を置くと一目散に家を飛び出した。

「っ…、ゆ、じろう…?なんで…。」
「あ、やっぱここ寛ん家だった。」
「なっ、…。」

飛び出した先に裕次郎が立っていて、慌てて立ち止まった。
裕次郎は家の正面の石垣に寄掛ってこちらを見ている。

「裕次郎!今何時だと思ってるっ!…皆心配してたんだぞ!」
「…ごめんちゃい。」
「今までどこに居たんだ?」
「…ずっとここに居た。」
「…は?」
「なんとなーくの家の場所は知ってたんだけど、違う知念さん家だったらマズイなぁと思って、ピンポン出来なかったんだよね。」
「…いや、そうじゃなくて、俺ん家の前に立ってた理由が知りたいんだけど。」
「う〜ん…、とりあえず中入れて?」

弟を追い出した部屋にふたりきりで籠る。
すぐに掛けさせた永四郎への電話でこっぴどく叱られたらしい裕次郎は、
けれどそんなことは意にも介さないといった感じでケロリとしている。
ところで本題は?と裕次郎の様子を窺っていると、
しばらく両手をもじもじと動かしてから、ようやく口を開いた。

「俺って、猪突猛進?ってタイプらしい。」
「うん、知ってる…。」
「うん、それでね、意外と一途な所もあるんだよ。」
「それも知ってる。」
「うん、けどさ、さっき寛に言われた事考えると、ドキドキして心臓が痛い。」
「…。」
「俺、さっきからずっと同じ事考えててさ。」
「うん。」
「アレ?俺、意外と他の人の事考える余裕あったんだー、とか、
もしかして、もうとっくに諦めはついてたのに意地張ってただけで、
ホントは誰かに諦めても良いんじゃない?って言われるの待ってただけなのかなー、とか…。」

肩をすくめながら、正座した足をもじもじさせて、
あさっての方向を向きながら、裕次郎が言いにくそうに話した。
俺は体育座りをしながら正面に座って、裕次郎の忙しなく動く目線を追っている。
少しの沈黙の後、急に裕次郎が姿勢をただし、こちらをまっすぐに見据えた。
どきり、と一瞬身構えて、つられたのか、俺まで正座の姿勢になってしまう。
裕次郎はふぅ、と一息吐くと、観念した犬の様に眉尻を下げて言った。

「正直…、グッと来てしまいました。」
「え。」
「さっきのあれ、今から返事してもいい?…軽い奴だって思われる?」
「…ん、んや…っお、思わない。」
「うん、…俺も寛のいい所たくさん知ってるし、好きな所いっぱいあるなぁって思ったんだ。
…気付くの遅くてごめん。」

照れくさそうに頭をかく裕次郎を見て、あれ、もしかして、と期待が膨らむ。
いやいやそんなまさか、とは思ってみても、
この気持ちが報われる時が来たのかもしれないと思うと、
どうしても涙が出そうに心臓が高鳴った。
この先を早く聞きたいような、言わずにいて欲しいような、ムズムズとした気持ち。
子犬みたいなまん丸い目でこちらを見上げる裕次郎が、口を開いた。

「寛、俺でいい?」
「…裕次郎が良い。」

本当はそのまま強く抱きしめて離したくないような気持ちになったのだけれど、
いざとなると、ガーンと衝撃を受けたように頭が真っ白になって動けない。
へへっ、と照れたように笑う裕次郎と互いに手を差し出して、
よろしく、と握手を交わすのが精一杯だった。
それでもその瞬間から視界がクリアになったような、明日が楽しみで仕方無いような、
そんな気持ちで心が満たされ、心が高ぶるのを感じる。
あぁ、俺は、いつの間にこんなにもこの人の色に染まっていたのだろう。



「母さーん、裕次郎、家まで送ってく。」
「はいよー。」
「えっ、いいって!女じゃあるまいし!」
「けど…。」
「なんなら俺が勝手にこんな時間に来た訳だし!」
「あー…、なんていうか、俺がもう少し裕次郎と居たいだけなんだけど、…ダメか?」
「うっ、その顔はズルいって…。」
「ははっ。」

いつも通る道が、こんなにも短く感じた日はあっただろうか。
隣を歩いていれば、どうしても触れたくなってしまうのに、
今日使える分の勇気は使い果たしてしまったらしい。
どう踏ん張ってみても、絞り切った雑巾の様に、一滴の勇気も湧いてこない。
そうこうしている内に、道を半分も来てしまった。
いつもの分かれ道、さっきあった出来事を思い出して一人赤面する俺に、
立ち止まった裕次郎が、ここまででいいよ、と言った。

「え。」
「家まで送って貰ったら、寛が一人で歩く時間が30分。ここで別れれば、
お互い15分で済むでしょ?俺って賢いー!」
「…まぁ、そうだけど。」
「だからここでバイバイね。」
「…わかった。」
「あっ!そうそう。」

ねぇねぇ、と裕次郎が手招きをして、ないしょばなしをする様に、屈め、と合図をする。
何も考えずに素直に屈んで耳を差し出す様に顔を傾けると、
頬にちゅっ、と軽く触れる感触があった。
え、っと一瞬考えたあと、何が起こったのかに気が付いて、少し顔が熱くなった。

「へっへー、こんな作戦に引っかかるなんてねー。」
「…引っかかるよ。」
「ふふ、冗談だって、送ってくれてありがとね。」
「うん。」

じゃ、また明日、と俺の右手を軽く握りながら言って、裕次郎が手を振る。
ここまでの道のりで俺がずっとためらっていた事を、裕次郎はこんなにも簡単に出来てしまうんだ。
なんとなく悔しいような、でもそれ以上に嬉しく思う気持ちもあって、なんだか複雑な心持ちになる。
あぁ、裕次郎のおかげでさっきまで迷っていた自分が馬鹿らしくなってしまったなぁ。
このままでは置いて行かれそうな気がして、まだ裕次郎がしていない事は、と考える。
振り向いて行ってしまいそうになる背中を追いかけて、左手を掴んだ。
そのまま傾いた体を腕の中に閉じ込めて、腕に力を込める。

「あーっ、くそっ、こんだけで心臓バクバクいってる。」
「ふふっ、いってるねぇー、俺にも聞こえてる。」
「…裕次郎。」
「うん?」
「好きだよ。」
「うん。」
「俺の所に来てくれて、ありがとう。」
「うん。」
「……気を付けて帰るんだぞ。」
「うん。」
「…じゃあ、明日な。」
「くくっ、寛が離してくれないと帰れないよー。」
「うー、仕方ないだろ、離したくないんだよ。」
「ふふっ、後で電話するって。」
「え。」
「違うや、スマホ持ってないんだった…。」
「うん。」
「今度一緒に買いに行く?」
「うん。」
「じゃあ、今日はもう帰るね。」
「うん。」
「明日会えるの楽しみにしてるよ、おやすみ。」
「おやすみ。」

寝ている時間以外はほとんど一緒に居るような関係なのに、
ほんの少し離れる時間がこんなにももどかしく感じるなんて不思議だ。
今夜はきっと長い夜になる。
オレンジみたいなまん丸のお月様が、可笑しそうに笑ったように見えた。




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