「え…。」

次の日、俺はいつもよりうんと早めに家を出て、うんと早めに教室に着いた。
いつもの朝のざわめきが嘘みたいに、しんとした教室に朝の風が入り込んではカーテンを揺らしている。
俺が教室に入ってまず最初に驚きの声をあげたのは、そこに遅刻常習犯であるはずの裕次郎が居たから。
裕次郎は窓際の席で頬杖を付きながら外を眺めていたけれど、俺の声に気付いてこちらを振り返り、にへらと笑って片手を挙げた。
俺はそれに手を上げ返してから、後ろにある自分の席についた。

「えー、今日早いな、どうした?」
「分っかんない。なんか目が覚めちゃってさー…、それに早く学校に来ればその分凛君にも早く会えるかなぁって思って。」
「…ふーん。」
「えらい?頭撫でてー。」
「なんでだよ!」
「ふふっ…。」

そう言いながらも素直に頭を撫でてやったのは、裕次郎の眠そうな笑顔を見てしまった所為だ。
多分昨日の事を気にして、何かあったときに俺が一人にならないようにしてくれたのだと思う。
朝は苦手なくせに、目が覚めてしまったなんて嘘が通ると思っているのか。

『え、うっそ、やっと断れたんだ?でもすっごいしつこかったじゃん、どうやったの?』
『好きなが人居るからって。まぁ、居なくても付き合わないけど。』
『えー…、でもずっと好きで居てくれたって事でしょ?』
『でもあんな偏見ばっかの奴嫌だよ。絶対自分の型に嵌めようとしてくるって。』
『そっかぁ…、まぁ元々杏ちゃんのタイプは全然逆だしね。』
『うん。私は犬っぽいかわいい子が良い。』
『だから甲斐くん。ふふっ、あれほど杏ちゃんのタイプに当てはまる人も居ないよね。』
『でも私諦めたもんっ!あのふたり、一緒に居るとすっごい幸せそうじゃない?
だから甲斐くんは本当に好きなんだと思うの、ソマリのこと。だから私はもう良いの、誰か他に良い人探すっ!』
『んー、そうだねぇ。恋人持ちの人好きでいても辛いだけだし。…それにしてもソマリって!猫でしょ?』
『そうそう、すっごい似てない?このあだ名考えたときピッタリ!とか思ったんだけど。』
『確かに。猫っぽいかもね、あの人。』
『それにソマリってさぁ、毛が長くて金色っぽくて目がキリッとして身体の線がすらっとしててさぁ、まんまそんな感じじゃない?』
『確かにっ!そう言われるともうそれにしか見えない!あははっ!』

―ガララッ―

『うわっ…、おはよう、甲斐くん、平古場くん。』
『…おはよう、今日早いね。』
「はよー。」
「おう…、そっちこそ早いな。いつもこんな時間に来てんのか?」
『うん、まぁ大体。』
「「…。」」
『『…。』』

昨日手紙交換をした女子の内ふたりが教室に入ってきた。
なんとなく気まずい雰囲気になったのは、彼女達が裕次郎や俺の話をしていたから。
横に居る裕次郎を見ると、俺の前で喜んで良いのかどうなのか分からないというような微妙な顔で薄い笑みを浮かべていたので、
わざと拗ねた顔を作って帽子の鍔を思いっきり下に引っ張ってやった。

「うわっ、何すんの凛くんっ。前見えないじゃん!」
「その変な顔やめれっ、見せんなっ。」
「あー、ヤキモチですかー、平古場クン。」
「なんでだよ!」
『ふふっ、やっぱふたりって仲良いよね。』
「当たり前だろ。」
『やっぱり平古場くんには適わないよなぁ…。』
「てか、お前さぁ、ソマリってなんだよ、ソマリって!」
『あはっ、やっぱ聞かれてたー?だって平古場くんって猫にしか見えないもん。』
「…確かに良く言われるけど!」
『あ、やっぱり?そんなイメージだよね。』
「俺はー?」
『甲斐くん?甲斐くんはー、やっぱプードルちゃん?』
「なんでプードルにはちゃんを付けるんだ…。」
『かわいいものにはちゃんを付けよ。』
「なんだよそれぇ。」
「りーんくん、拗ねないの。」
「うるせぇっ、バカ。」

笑いながら頭を撫でてくる裕次郎の手を払いのけてそっぽを向く。
もちろん本気で嫌がっている訳ではないという事はここに居る全員が分かっているから皆して笑う。
そんな穏やかな雰囲気に水を差す出来事が起こったのはこのすぐ後の事だった。
廊下から、4組の男子生徒が歩いてきた。
それは別に気にするような事ではないけれど、その後奴が放った一言が問題だった。

―気持ち悪ぃ、男同士でべたべた―

「…。」

裕次郎が、その言葉を聞いて泣きそうな顔で奴の方をぼぅっと見ている。
あぁ、そんな顔すんなよ。
裕次郎には、俺と居る事で嫌な思いをして欲しくない。
もちろん、俺達の関係を笑って受け入れてくれるやつも居れば嫌悪感を抱くやつも居るって事は分かっているけれど。
それでもそれをわざわざ俺達に聞こえる様な形で示す必要など無いのだから。
俺の裕次郎にそんな顔させるような事言うなよ。
なんだかすごく腹が立って、思わず立ち上がって廊下側の窓から奴を呼び止めてしまった。

「オイ、お前さぁ。」
『…なんだよ。』
「お前が何だよ、さっきのは何だ。」
『別に、言ったままだろ。気持ちわりーから気持ち悪いって言っただけだ。』
「何がだよ。」
『昨日、見たぞ。男同士であんな事してるのとか、かなり気持ち悪いんですけど。』
「…別に俺達がよければそれで良いだろ。」
『はっ、まさかお前ら付き合ってるとかいう冗談言わないよな。男同士で、何考えてんだよ。』
「俺には女とか男とか関係ない。好きになった奴と付き合う、そんだけだろ。何かお前に迷惑なことでもあんのかよ。」
『あぁ、あるね。不愉快なもん見せ付けられて吐き気がする。お前ら散々女に言い寄られて何が不満なんだよ。
特に甲斐、お前、女に愛想振りまいといて結局男と付き合ってるとか。純粋に女が好きなやつの邪魔なんだよ。その所為で俺だって振られたんだ。』
「あ?お前バカだろ?そんなもん裕次郎にはなんの
『馬鹿!あんたホンット馬鹿ね!最初から分かってたけどここまで馬鹿だったなんて…。
いいわ、分かりやすく説明してあげる。私昨日、確かに甲斐くんが好きだからあんたとは付き合えないって言ったけど、そんなのはただの言い訳よ?
あんたみたいな人を馬鹿にする事しか能がないような人間とは付き合うだけ無駄だって思うもの。そういうのって、よっぽど不愉快で醜いのよ?分かる?
分かったらとっととふたりに謝って教室に戻るのね。分からないならそれだけの人間って事だけど。」
「「…。」」
『っ…ちっ、くそっ、どいつもこいつもしょーもねぇ奴ばっかだな。もうどうでもいいわ。』
『…あんたが一番しょうもないわ!馬鹿な奴。』
「…サンキュ。」
『ううん、このくらい言ってやんないとね、ああいう馬鹿は勘違いしちゃうからさ。
それより私の方こそごめんね、甲斐くんを理由に断ったりなんかしたから八つ当たりだと思う。』
「…。」
「裕次郎?…気にすんなよ。」

裕次郎が、今にも泣き出しそうな顔で俯いた。
そんな姿を見ると、こちらまで胸がチクチク痛む。
窓際の席に座る裕次郎の方へゆっくりと歩み寄って、そのまま頭を抱えるみたいにしてぎゅっと引き寄せる。
裕次郎の顔が密着しているシャツの腹部が、ジワリとしめったのを感じた。

「りんくん、ごめん。」
「…何が。」
「俺と居る事で凛くんが嫌な思いするのも嫌だけど、離れるのはもっと嫌。だから凛くんがもう嫌だって思っても離してあげられない。わがままで、ごめんなさい。」
「何言ってんだよ、バカ。それは俺の方だろ?俺は他人にどう思われようが知ったこっちゃないけど、
お前が悲しい顔するのは見たくない。俺は、お前が居れば他のやつなんてどうでも良い。お前が居てさえくれれば。」
「…うん。俺、ずっと凛くんと居る。」
「うん、それが一番嬉しい。」

いつの間にか、教室にはふたりきりになっていた。
多分、あのふたりも、その後から来た奴らも、遠慮してこの教室に入って来なかったんだと思う。
その事に、もう少し甘えてみようと思う。
抱えていた裕次郎の頭を離して、少し屈む。
目の前で目を赤くしているやつの頬を両手で包み込んで、それから丁寧に、キスを落とした。

『あっ…。』

不意にふたりだけの世界に入り込んでくる声がした。
廊下を見ると、田仁志と知念が間抜けな顔をしてこっちを見ている。
目が合うと、知念はハッとして隣の田仁志の背中を軽く叩き、よそよそしい動きで足早に自分達の教室へ向かっていった。
こうなってくるともう、誰に見られたって関係ない。
むしろ見せ付けてやっても良いとさえ思えてくる。
でも裕次郎は…とか考えて視線を戻すと、見られちゃったね、なんて言いながら照れくさそうに笑ってた。

* * *

「り、ん、くんっ!」
「…重い。」
「いいじゃーん、ぎゅーっ。」
「苦しっ、この馬鹿力めっ。」
「…ん、凛くんフレグランス変えた?」
「…変えた。」
「良い匂い…。」
「裕次郎、こっちの方が好きか?」
「んー、どっちも好きだけど、一番は凛くんの匂いかな。何も付けてないときの。」
「…なんだよそれ。」
『ほぅ、今日もラブラブですなぁ。』
『妬けますねぇ。』
「そうでしょっ、いいでしょっ。」
「目のやり場に困る?」
『いえいえ、腐女子にはたまらんっス。』
『正直者。』
『ラブラブ中お邪魔して悪いかしらぁ。』
「そんなこと無いよー、全然。」
「うん。」
「一緒にお話しよっ!」
『いいの?』
『わーい。』
『…じゃあ相談聞いて欲しいんだけど、木手君のことで…。』
「おー、俺何でも知ってるよ、えーしろーの事だったら!」
「…。」
「あ、凛くんの事もモチロンいっぱい知ってるけどさ、えーしろーはちっさい頃から一緒だから。」
「別に、何も言ってないだろ。」
「そうだけどぉ。」
『ヤキモチ妬き。』
「あ、なんだよそうやって!もういいよ、俺トイレ行くし。」
「あ、待って俺も行くー!」
『くくっ…トイレで変なことすんなよぉー。』
「あー、ちょっと遅くなるかもしれん。」
「あ、凛くんのえっちぃ〜。」
「ふらー、変な動きすんな!今のはマジでキモかった!」
「うわっ、ひっど!凛くん最低っ!こうなったらっ、ザシュッ!」
「ぁっ、馬鹿、今そこ攻撃すんなよ!やべー…漏らすとこだった。」
「あははははっ。」
「笑ってんなよ。」

噂って言うのは、それが本当だろうと嘘だろうと想像以上のスピードで広まっていくもんだ。
俺達のことも例外ではなくて、あの日からあっという間にクラス中、学年中に俺達の関係が知れ渡った。
最初は変な目で見られる事も多かったけれど、今となっては当たり前に受け入れられていて、もはやクラス公認カップルみたいになってる。
つまり俺達が教室で何をしてようが誰も気にしなくなったという訳で。
だから裕次郎も周りの目を気にして俺に気を使ったり、その事で嫌な想いをしなくて済むようになった。
まぁ、いくら人の目は気にしないって言っても受け入れてもらえるに越した事は無いからな。
これからもずっとふたりでこうやって笑っていられたら良いな、なんて。
おっと危ない、そんな事考えてたら″平古場くん一人でニヤニヤしてたよ″なんて噂されるところだった。



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