「ねぇ、りんくー・・・。」
「ぬーやがそれ、わん今にも冒険しだしそうな名前で呼ばれてね?」
「ふふっ、確かに。」
「んで?なによ、何かあびるとこだったば?」
「うん、あのさ、今日凛くん家寄ってい?」
「・・・なんで?」
「えー、なんでって・・・特に理由はないけど。」
「まぁ、別に。」
「いい?」
「ん。」
「やたーっ!にふぇーっ!」
なんだか久しぶりだった。
ここの処忙しいこともあって、お互いの家に遊びに行くということもめっきり無くなっていた。
久しぶりに来てもきちんと整理されているこの部屋は、意外としっかり者の凛君の、彼らしい部屋だ。
知っている人しか知らないちょっとした秘密みたいなこの部屋が、俺は結構好きだったりする。
「なぁ、あのさ・・・。」
「ん?」
「最近あんま掃除してねーし、埃とか落ちてくるかもしんねーから、その・・・、あんま色んなとこ触らんけーよ?」
「え、・・・うん。」
そこからなんとなく沈黙して、それから俺は切り出した。
凛君はなぜか、ビクリと体を震わせる。
それは突然話しかけられて驚いたというよりは、ギクリ、というような感じだった。
―ねぇ、凛くん、わん好きな人が出来たと思う―
こんな秘密を曝け出して、気まずいのは俺の方なはずだった。
でも凛君は顔を赤くして黙り込む。
「へ、へぇ・・・どんな子?」
それからしばらく、不自然な程の間があり、
やっと返事が返ってきたと思えば凛くんは体の向きを変えて窓の方へ顔を向けた。
その理由も意味も良くはわからなかったけれど、顔が見えていない分なんだか話しやすくなったように感じる。
「・・・綺麗な子・・・人魚姫みたいで、消えちゃいそう。」
「名前も知らないんばぁ、声も聞いたことない。」
「でも、笑顔が印象的で、話を聞くのが上手で、手が綺麗で字もかわいい。」
「海が好きで、・・・あとはいつも良い匂いがしてる。」
「気がついたらあの子のこといつも考えてる。・・・あの子のこと何も知らないのに、なんでこんなに好きなんだろう。」
凛くんは、振り向いた。
すごく真面目な顔をしていた。
「なぁ・・・、好きなら好きって言えばいいんじゃねーの?」
「そ、だよね・・・やしが。」
「やしが、なに?・・・振られるかもって?」
「・・・。」
「そんなん気にしてたら何にもならんど。」
「そう、だよね・・・。」
「待ってんじゃねぇの、その子・・・つーか、待ってるよ。早くなんとかしたいって思ってるよ、焦ってる。
このままじゃダメだって思ってるけど、でもなんもできねぇんだよ・・・。」
「凛くん?」
「っ・・・、わ、わんトイレ・・・そのついでに飲み物とってくる、から。」
「え、・・・凛くん。」
バタン、乱暴に閉められたドアを見つめ、ため息がこぼれた。
確かに凛君の言うとおりで、自分から行動を起こさない限りは何も始まらないと思う。
でも、なにかが引っかかった。
それが何かは分かりそうで分らない、けれどどこか不自然だ。
混乱して重くなった頭を後ろへ傾けてベッドへ倒れこむ。
深呼吸に息を思い切り吸い込めば、優しくて心地のよい香りが鼻先をかすめた。
この香りは何かに似ている。
そう思い、目を瞑り深呼吸を繰り返せば、ぼんやりとその“何か”の輪郭がつかめた気がした。
まぶたの裏では彼女が笑っている。
そう、この香りはまるで――。
ガバリと起き上り部屋を見渡す。
もしかして、という気持ちが胸の中で大きく膨らんだ。
この考えが外れていないとしたならば、すべての辻褄が上手く合致するような気がした。
俺は凛くんのそこそこ整頓の行き渡った勉強机の前に立ち、
他の教科のものと比べてあまり使い込まれていないそのノートを手にとった。
開いたとたんに心臓が大きく跳ね上がる。
その英語のノートには、彼女のものと全く同じ癖を持ち、
あの独特の丸みを帯びた字体でアルファベットが並んでいた。
あぁ、そうか。
たった今、ようやく俺は、彼女の名前も歳も、国も職業も知ることが出来た。
彼女の、彼の名前は・・・
―平古場、凛―