「パパ、朝だよ起きて。おばーちゃんがね、布団畳んでご飯にしようって。」
「ん…今何時?」
「えー、ちょっと待ってて、聞いてくる。」
「うん。」
「9時15分だって。」
「んー、そっか。今起きる。手引っ張って。」
「うん。…んーっ、パパ重い。」
「そうかー?ちょっと腹の肉ついてきたかな?」
「おじちゃんの方が軽いよ。」
「はあ?それは無いだろ。身長差どれだけあると思って…まあ、あんだけガリガリなら有り得るか。」
「うん。早く布団畳んで。私おなかすいたよ。」
「わかったわかった。布団たたむからそっちの角引っ張って。」
「うん。」
「おいしょっと。…よし。行くか。」
「うん!」
「おばーちゃーん!おなかすいたぁ!」

葵は昨日あんだけ遊んだっていうのに、早くに寝た所為か朝から元気が有り余っている。
俺はというと、あの後なかなか寝る気になれず星空を見上げながら物思いにふけっていたら、
いつの間にか夜も遅い時間になっていて結局あまりちゃんと眠れていなかったりする。
そういえば寛はどうしただろう。ちゃんと、眠れたんだろうか。

「ちょっとまってね。これだけ作っちゃったら終わりだから。」
「うん!良いにおい。私これ運んどくね?」
「葵ちゃんはお利口さんね。ありがとう。」
「へへ、どういたしましてー。」
「…おはようございます。」
「おはよう凛君。昨日はよく眠れた?」
「ああ、はい。」
「それならよかったわ。あ、もうすぐご飯だから顔洗ってきてね。」
「はい。」

洗面所に行く途中、ちらっと食卓を見てみたら、寛はいつもの調子でテーブルに箸やら何やらを並べている所だった。
なんだ。心配することもなかったのかな、なんて思ったけど。
やっぱり寛にあんな顔されたら心配にもなるってもんだ。
洗面所で顔を洗ってからパッと鏡を見たら、うっすらと目の下にクマができていた。
げっ。あんま寝てないってばれたら逆に心配するだろうな、寛のやつ。

「パパー、もうご飯出来たよ。はやくー。」
「うん、今行くー。」
「よし、じゃあみんな揃ったし食べようか。」
くわっちーさびら。」

前から思っていたことだけれど、お義母さんの作るご飯は最高にうまい。
葵もそれには同感らしくいつもより箸が進んでいる。
(そりゃいつも俺の作ったもんばっか食ってたらそうなるかも知れんが…)
寛は…相変わらずあまり食べないけれど、いつもと変わらない表情をしている。
昨日のことなんて無かったみたいに。
そんな事を考えながら寛のようすを窺ってたら、ぱっと目があってしまった。
なんとなくじろじろ見てたのが気まずかったのと、クマを見つけられるのが嫌だったのとで直ぐに目をそらしてしまったけれど…
一瞬見えた表情はなんとなく昨日のそれを思い出させるようなものだった。

「凛ー。」
「んー?」
「そこのこーれーぐーす取って。」
「…朝からそんなんかけて食うのかよ。」
「いいばぁ。」
「まあいいけど。」
「なに?おじちゃん何かけてるの?私もかけていい?」
「葵、お前にはまだ早い。炭酸も飲めないやつがこんなんかけて食ったら卒倒だぞ。」
「えー、わかった。じゃあ止めとく。」
「おお、それが賢明だ。」
「葵は…そこのしょうゆかけるといいさぁ。味が薄いならな。」
「うん、分かった。そうする。」
「はい、しょうゆ。」
「ありがとう。おじちゃん。」
「おお、いっぱい食べろよ。」

* * *

今日は娘の誕生日ってことで彼女の希望する水族館へ行くことになった。
娘にとっちゃ寛と行ければどこでもいいんだろうけど。
その証拠にさっきからあいつの手を握って離さない。
表情もいつもの数倍嬉しそうだ。
それはもう、通りかかったおばさんも思わず笑顔で話しかけてくるくらい。

「あら、いいわね。パパと仲良さそうで。」
「違うよ。この人はパパじゃなくて私の旦那さんになる人なの。」
「え?あら。」
「あいっ!葵。…ち、ちがくてあの。この子はわんの姪で…父親は、こっちです。」
「あ、どうも。」
「ふふふ、パパさんも寂しいわね。」
「そうですね…はは。」
『おばーちゃーん!早く!』
「あらやだわ、あなた達もこんなところで引きとめちゃ迷惑よね。それじゃあ、さようなら。」
「はい、さようなら。」
「…私、やっぱりおじちゃんとは結婚できないんだ。」
「…。」
「私、誕生日には何も要らないよ、ケーキも、何も要らないよ。だから、おじちゃんが傍に居てよ。私は、おじちゃんが…欲しい。」
「い!…あぁ…ええと。」

葵のその発言にびっくりしたのはこっちも同じだけど、
言われた本人は明らかに狼狽した様子で助けを求めるようにこっちに視線を投げかけてくる。

「…あ、あのな、葵。そんなこと言ったら寛が困るだろ?
前にもいったじゃん。お前は寛と結婚できなくてもそれでもいいんだって。
パパはちゃんと確認したぞ。それでもお前は好きでいたいって言ったんだ。」
「…嫌だ。やっぱりずっとそばに居たい。帰りたくない。」
「葵ー、頼むよ。パパだって帰りたくないけど我慢してるんだ。」
「どうして?どうして我慢するの?どうしてここにいちゃだめなの?」
「それは…仕事とかもあるし。」
「仕事?それだけ?だったら葵はここに残りたい。」
「…そんなこと出来ないよ。それに寛だって、お前にずっとここに居られたら大変だろ?」
「…だって。おじちゃんが誰か他の人と結婚しちゃったら嫌だ。」

その時俺は、葵が本当に俺の子なんだなって実感した。
俺は自分だけさっさと結婚して子どもまで作ったって言うのに、
いつも傍に居てくれたこいつが何処かに行ってしまうって考えるのは嫌だった。
寛がいつか誰か知らない人と出会って、結婚して、家庭を作って、ってそんなふうに。
俺たちが過ごしてきた時間よりもなによりも、
その人たちと過ごす時間がこいつにとって一番の幸せになることが、怖かった。
そんなのはわがままだって分かってるから、だから俺はそんな事口に出して言わない。
だけど葵は少し幼すぎて、心に宿った不安を吐きださずには居られなかったんだろう。

「…葵、それは寛の…「おいで、葵。」」

それは寛の人生なんだ。そう言おうとした俺の言葉をさえぎって、
寛は今にも泣き出しそうな葵の頭をなでると、そっと抱きしめてその小さな頭にキスを落とした。
いかにも壊れやすいものを扱う時のような、そんな優しい表情だった。

「…寛。」
「葵、わんはやーとは結婚できない。だけど他の人とも、結婚はしないよ。約束。
わんはやーのものにはなれないけど、今傍に居れるときはずっとやーの隣にいてやる。 それじゃ、だめかやぁ?」
「…うん、うんっ、…っそれがいいっ、葵は、それでもいいよっ。」
「ああー、泣かんけー。せっかくのかわいい顔が台無しさぁ。わんは泣き虫は嫌いだ。」
「うん、うん、今泣きやむよっ、泣きやむから。」
「ほら、肩車してやる。そんな顔皆に見せびらかしていくのか?」
「嫌ー、それは嫌。」
「ほら、今拭いてやるから。うりっ。」
「へへっ、痛いよぉ。」
「うし、行くか。」
「うん。」

俺はその時、やっぱり自分もこいつの父親なんだって事も思った。
寛が、とても男らしく見えた。愛しく、思えた。
こんなやつに愛される人ってのはどんなに幸せだろうって、そう思って。
まだ見たことも無いその人に、少し嫉妬したりしてる。
それからやっぱりそんな人がこいつの前に現れる日が来るのがもっと嫌になった。
こいつの中での特別が、増えていくことが嫌なんだ。


「あのサメさんすーーーっごく大きかったね。」
「ああ、でもかわいい顔してたな。」
「うん。また会いに来ようね。」
「おお、そうだな。」

葵は寛に買ってもらったジンベイザメのぬいぐるみを嬉しそうに抱えながら肩車されてる。
俺は楽しそうに前を行くふたりの一歩後ろをゆっくり歩く。

「葵ー、そろそろ降りたら?寛も肩痛いって。」
「うん、おじちゃんありがとう。私降りるよ。」
「ああ、わかった。…よっと。じゃあはい、手。」
「うん。」

俺なんかよりよっぽど父親らしい寛が、自然に葵と手を繋ぐ。
なんだか少し置いて行かれた感があるけど、それでも葵は俺の子だから。
その事実だけあれば今はそれでいい。別にうらやましくなんか、無い。

「パパ?どうしたの?」
「ん?なにが?」
「なんか寂しそうな顔、してたよ。」
「そうか?そんなことないけどなぁ。」
「…はい、手。」
「え?」
「パパとも手繋ぐの。」
「そっか、ありがとう。」
「うん。おじちゃん、このサメさんちょっと持っててくれる?」
「ああ。」
「ありがとう。…あ、見て!私達の影、ひとつになってる。」


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