水族館から帰ってきた俺たちの前に並べられていたのは、
普段の俺たちの食事からは考えられないほど豪華な夕飯だった。
葵はその真ん中に置いてあるケーキに目が釘付けだ。
「わあ!すごい!美味しそう!おばあちゃんありがとう!」
「ふふふ、そんなに喜んでもらえると、作った甲斐があるね。」
「…わんの誕生日にだってこんな沢山作ったことなかったぞ。」
「いいじゃないの。うりっ、さっさと手洗ってきなさいよぉ。」
「わかったさぁ。葵、おいで。」
「うん!」
寛は言葉の通り、葵とずっとびったりくっついて過ごしている。
「凛君、あのふたり、なにかあったの?」
「え?ああ、まあちょっと…。」
「ふーん、まあいいばぁ。凛君はこっちで手洗いな。」
「あ、どうも。」
それから豪華な夕食が始まって、みんなで楽しく過ごした。
葵はプレゼントをもらって更に上機嫌のご様子。
いつも以上に笑顔でいっぱいの表情をしていた。
「よし、そろそろ蛍見に行かねえ?」
「うんうん!見に行く!」
「あら、いいわね。行ってらっしゃい。」
「ほら葵、それなら靴はいて準備しとけ?」
「うん。」
食事の後に蛍を見に行く約束をしていたから、食べ終わってしばらくしたら家を出た。
外はちょうど真っ暗になりだしたころで。
暗闇が怖いのか葵は川原につくまでの間、俺たちの手をぎゅっとちからを込めて握った。
だけど蛍の淡い光の粒達を見つけた瞬間、勢い良く橋の手摺りにしがみついて目を輝かせた。
「うわあ!これが蛍?きれーい!」
「うん。そうだろ?パパはこれを葵に見せたかったんだ。」
「うん!パパありがとう!私今日ここに来れてよかったよ。」
「そっか。パパも葵がそんなに喜んでくれて嬉しい。」
「うん!…あ、おじちゃん、おじちゃん、何やってるの?」
「うり、じんじん。」
「じんじん?…うわあ、すごい。」
寛は持ってきたうちわに止まった蛍を葵のすぐ近くに持ってきて見せていた。
「じんじんは…蛍と一緒さぁ。葵はじんじんが好きか?」
「うん!すごく!きれいだもん。」
「そうだな。わんもそう思う。」
「ねーねー、もっとあっちに行ったら、もっといっぱいいるのかな?」
「そうだな、行ってみるか。」
「うん!」
初めて見る蛍に興奮した様子ではしゃいでる葵。
良かった、喜んでくれて。
そのまま奥に進んでいくと、予想通りもっとたくさんの蛍の光が水のそばを舞っていた。
最初はキャイキャイはしゃいでた葵も、やがて静かにその光を見つめた。
「…葵、あおいー?」
「…。」
「寝ちゃったな。」
「まあ今日も散々はしゃいでたからな。」
「そうだなあ、こいつ沖縄に来るのすっげー楽しみにしてたから。毎日楽しくて仕方ないんだろうな。」
「…。もう葵は寝たぞ。その喋り方はしなくてもいい。」
「ああ…でもやっぱ抜けてくよなぁ、普段使ってないと。」
「ふーん、そうゆうものかやぁ?おっと、葵倒れそうだ…背負ってやろうか。よっと。」
「ああ、悪いな。重かったら変わるぞ。」
「大丈夫。」
やけに静かになったなあなんて思っていたら、葵は疲れたのか立ったまま寝てしまっていた。
こくこく頭を揺らして、今にも地面に倒れてしまいそうだった。
それを寛が背負って、それからまた水辺に揺れる光に視線を戻した。
「そっか。やーはじゅんに子供好きだな。」
「まあな。」
「やっぱりそうゆう奴が結婚したほうがいいと思うんだよな。やーはもったいない事してる。」
「…。」
「そういえば昨日のことだけどよぉ、あれはなんだったんだ?」
いつもは寛から言ってくれるのを待つことにしているけれど、
昨日はあれから何も言ってもらえずに、悶々と一人で考える羽目になった。
だから今日は、どうしても聞いておきたかったのだ。
「…やーは、どうしてわんが結婚しないか聞きたいか?」
「え?うん。」
「そうか。」
「どうして、結婚しないんだ?」
「…。」
「寛?」
「…わんは、そんなに器用じゃないから。」
「…どういう意味?」
「わんはそんなに器用じゃないから、ひとりの人しか愛せない。」
「…。やっぱり、やーは…その。」
あの時冗談で流した話は、ずっと想い続けてる人が居るって話は、
やっぱり本当のことなんだろうか。
だからこいつは、不器用にひとりの人だけを愛し続けているって言うんだろうか。
「わんの初恋は、今でも続いてる。諦めたくても諦められない。辞めたくても、辞められない。
好きでいることは、自分ではどうしても…止められん。だからそれは、これからもずっと続いていくって思う。」
「…。」
「そんな気持ちでいても、わんは一番大切な人の心の中の、一番そばに居ることはできない。
それでもやっぱりわんは、その人にしか言えない。…一生愛すなんてこと。」
だから結婚なんてできないだろ?神様の前でそんな嘘誓えない。
寛はさっきまで見てた光とはちがう、どこか遠いところを見つめながら静かに言った。
「……寛?」
泣いてるのか?そう言おうとしてやめた。
そこには昨日の夜に見た、あの辛そうな顔があったから。
「寛、そのひとにはもう、会えないのか?…あいつと同じところに居るとか。」
あいつっていうのは、俺の妻であった、こいつの妹のことだ。
だからつまり、もうこの世にいないってことだけど。
俺の質問に、寛は首を横に振った。
「…手を伸ばせば、触れられる距離にいるんだ。いつだって。」
「それなら、どうにだってなるんじゃねーの?そんなに好きなら、
相手も分かってくれることだってあるかもしれないし。そばに居れるうちに、何かしないと。」
「…だったら…わんのそばにいて。」
「…あ?何言って…」
それは一瞬のことで。
あっと思ったときには体が腰に回された腕に引き寄せられていて、
それからゆっくりと、優しい口づけが降りてきた。
「…!」
「…。」
「ひ、寛?」
「やっぱり、好きなんだ。やーのこと、今でも。だからやーにだけ誓う、一生想い続けるって。」
「…。」
「…だから、言えなかったんばぁ。こんなの普通じゃない。それに、やーを困らせることになるあんに?
いきなりこんなことしておいて、言えることじゃないのは分かってるけど。」
「…。」
「ふっ。やっぱり、喋るのも嫌になるくらい幻滅したか?」
「…ち、違う。」
「無理さんけー。こうなることも、分かりきっててやったことだから。わっさん。」
「…。」
何も言えなかったのは、驚いていたからだ。
だけどあんなことをされても、嫌だなんて全然思わなかった。
それよりも、一瞬困ったように歪められた寛の表情の中に、
何かを諦めたようなモノを見つけてしまって。
だからそれがどうしようもなく不安になった。
寛は、どこかに行ってしまったりしないだろうか?
俺は迷惑だなんてちっとも思ってないのに、俺の前から消えようだなんて、そんなこと考えていないだろうか?
「よし、行くか。葵も寝かせてやらないと。」
だから思わず、そう言って歩き出そうとする寛を呼び止めた。
「っ、待って…。」
「何。」
「…かもしれない…。」
「ん?」
「わんも、好きかもしれない…から。」
「…。」
「だから。」
気がついたら俺は、葵を背負ったまま振り返った寛の胸ぐらをつかんで引っ張ると
強引にその唇に口付けていた。
「…わんも、そばに居て欲しい。やーに。」
「…。」
「ほんとは、やーが誰かひとりの特別になることが怖かった。
わんから離れていくことが嫌で仕方なかった。やーに、そんな風に愛されるひとが羨ましかった。
やーがわんに何も言ってくれなかったら寂しかったし、やーが辛いとき力になってやれないのが悔しかった。
だから、好きなんだろ、これって、やーのこと好きってことだろ?」
一気にまくし立てる俺のその言葉に目を見開いていた寛が、
しばらく黙ってこちらを見ていたけれど、そのあとに静かに言った。
「…凛?泣いてるのか?」
さっき俺が思っていて、言えなかったことを。
だけど俺は寛に言われるまで、そのことに気がつかなかった。
それほどまでに感情が高ぶっていた。悔しさが募っていた。
もしかしたら寛も、あの時は自分が泣いているなんて気がついていなかったんだろうか。
それほどまでの、想いだったんだろうか。
「…っ、なんで気づいてやれなかったんだよ。ずっと、っずっとそばにいたのに。
やーにはあんな顔させたくなかったのにっ、あんな、辛そうな顔、見たくなかった。
ごめん、ごめん寛っ。」
「…やーのせいじゃねーらん。あれはわんが勝手に。」
「だけどっ。」
寛はそう言って泣きじゃくる俺の頭を優しくなでると、片手でゆっくり俺を抱き寄せて、それからそっと頭にキスを落としてから言った。
「それなら、わんは笑った顔の凛がそばに居てくれる方がよっぽど嬉しい。そんなふうに謝られるよりずっといい。
わんは、やーが居て欲しいって思う分だけ、やーの隣に居てやる。それじゃ、だめかやぁ?」
「…うん、うんっ、わんもっ、それがいい。…寛と笑ってそばに居れたら、それが一番嬉しい。」
「だったら泣き止め。わんは泣き虫は嫌いだ。」
「うん、うん、今泣き止む。泣き止むから。うっ、ちょっと待て。
こんなに泣いたの久しぶりだからどうやって止めるのかわかんね。はは、ふらーだな、わん。ぅっ。」
「ほら、手つないでやるから早く帰るぞ。そんな顔で家に帰ったら何か言われる。」
「そ、そうだよな。それは嫌だ。」
「ほら、拭いてやるから。」
「うわ、ちょ、痛いって。自分でできる。」
「ぷっ。やっぱ葵はやーに似たんだな。」
「何がだよ。」
「別に。気づいてないならいい。」
確かに葵は俺によく似ている。
だけど寛がなにを思って突然そんなことを言い出したのかはよくわからなかった。
ただ、月明かりの中歩く俺たちの影はきっとまたひとつになっているに違いないと、
そう思ったらなんだか嬉しくて。
葵もこんなときには声に出して言ったあと、嬉しそうに笑うに違いない。
「見て、私たちひとつになってる。」